【切ない5題 3】
1.今すぐ逢いたい
「来年の春には日本に戻る事になった」
改まって話があると言われ、聞かされたのはそんな話だった。
元々海外に移住したのは親の転勤のためだが、何でも呼び戻される事になったらしい。
「ただし、帰国しても忙しく飛び回る事にはなりそうだがな――優はどうする?」
どうする、と言うのは進学先の事だろう。父は年を追って忙しさに拍車がかかっている。公私ともにパートナーである母も同様だ。残るにしろ帰国するにしろ、俺は一人残されるも同然と言うわけだ。
――なら、答えは決まっている。
日本には良介がいる。
人によく噛み付く、獰猛な子犬みたいな幼馴染みだった。他人に何を言われようとも、いつでも真っ直ぐな視線を俺に向けてくるところが何より気に入っていた。
だが、俺が持つ最後の良介の記憶は、色のない病室のベッドに横たわる姿だ。
あれから、もう三年が経つ。年単位で成長する今の年代にとってあまりにも長い期間だ。
今のあいつに、すぐにでも逢いたい。
敵わぬ願いかもしれない。それでも俺は可能性に賭け、「日本に帰る」と答えた。
2.消せない傷
良介の腕をシャツから抜くと、左肩の付け根を覆うかのように大きな裂傷の痕が在った。
――あの時の傷だ。
小学生の最後の夏、良介をつれて花火を観に行った祭りの夜、木の枝に座っていた俺達は事故に遭った。
俺は軽傷で済んだものの、良介の方は意識不明の重体だった。あと少し運が悪ければそのまま死んでいただろう。
地面に転がる良介の左肩から太い木の枝が突き出ていた、あの悪夢のような光景を俺は生涯忘れないだろう。
そして、祈るような想いで声をかけ続けた俺に対し、ほんの一瞬目を開けた良介が放った言葉も。
俺は傷の境目を確かめるように指でなぞった。この傷跡は手術でもしない限り一生、良介の肩に在り続ける。見た目だけではない、後遺症も残っているはずだ。
俺の罪の証だと見る奴もいるだろう。だが、誰にどう思われても構わない――良介さえ俺を忘れないなら、この傷を見る度に俺の事を思い出すならば。
3.世界中でキミしか見えない
北斗がそわそわとしだした。きっと俺が一秒たりとも目を逸らさずに、北斗の顔を見つめていたからだろう。
「なぁ、南斗。お前俺になんか言いてぇ事、あんの……?」
「ううん、別に」
「だったらさぁ、そんなジロジロこっち見んなよ。っつぅか飽きねぇ?」
俺は首を横に振った。当然、飽きるはずなんて無い。北斗の顔だったら何時間、何十時間だって見ていられる。むしろ普段見られる時間が少なすぎるぐらいだ。
俺が本当に「見て」いるのは、世界中で北斗だけ。
「……なんか、お前って単にナルシストなだけなんじゃね? って時々思うんだけど。だって俺ら同じ顔だろ」
「そりゃ同じだけど、違うよ。鏡はそう何時間も見てられないし――『北斗の代わり』って自分を誤魔化さない限り」
もし、俺と北斗が完全に同一の存在であればその事に満足し、俺は北斗に恋をしなかったかもしれない。
同じで、違う。だからこそ一つになりたくて恋い焦がれる。
永遠に満たされないのは、けれど触れ合い見つめ合える幸せのためなのかもしれない。
4.呟いた名は
「ちわーっす」
「あ、わっちゃん。部活終わったんだ?」
もうすっかり我が物顔で生徒会室に出入りするようになった和地を、南斗は自然な笑顔で迎え入れた
「あれ、いま南斗ひとり? 酒谷サマは?」
「何だかわっちゃん、俺や北斗を差し置いてすっかり酒谷に夢中だよね」
「何を仰る。北斗に夢中になったら怒りまくるくせに」
率直な和地の言葉を南斗は苦笑しながら認めざるを得ない。
「酒谷なら多分第一校舎の屋上で昼寝中だと思うよ。そこがあいつの避難場所らしいから」
和地は南斗に礼を言い、教えられた場所に向かった。
南斗の言った通り、酒谷は屋上の給水塔の影で眠り込んでいた。自分の腕を枕にし、背中を胎児のように丸めている。
いくら季節が春だとは言え、外は寒い。酒谷の健康を心配した和地は彼を起こそうとした。
和地がその場に膝をついて身を屈めたちょうどその時、酒谷の唇が寝言を紡いだ。
「――。」
呟かれた名を聞き、和地は伸ばしかけた腕を引く。
「……そっか、そーなんだ」
彼は黙って自分のブレザーを脱ぎ、酒谷の身体に掛けた。更にその上からジャージの上着も掛けてやる。
「風邪にだけは注意してね、酒谷サマ」
和地は冷気でむずついた鼻の下を擦ると、屋上から立ち去った。
5.愛惜
アナウンスが聞こえてきた。
「もう来る、な。新幹線」
わざと明るい声で言ったのは、涙ぐみそうになる自分自身を誤魔化すためだ。
ただでさえ最近、変に涙腺緩くなってきて困ってんだけど、いよいよ「本番」ともなるとかなりヤバい。
今日、優は上京する。
俺達の街から一番近い、新幹線の止まる駅まで見送りについてきたけど、もしかしたら優んちの最寄り駅でとっとと別れを済ませた方が良かったかもしんねーな。
だってほら、握手してる手を放せねー。
この手、放したら、もう二度と優と逢えねーんじゃないか、って錯覚しそうで――あの事故の後、優が遠くに行ってしまったように。
そう思ってたら、優の方から手をふりほどかれた。もう新幹線、ホームに入ってたのか……。
「前にも言っただろう、逢おうと思えば逢える」
そう言って優は子供にするように俺の頭を撫でた。
「じゃあな」
別れの挨拶が普段通りに軽かったのは、あいつが俺達のこれからを信じ切ってるからだろう。
(2007/05/03)
番外編/polestarsシリーズ/目次/配布元:Mutant様