INTEGRAL INFINITY : extrastars

【anotherstars - I made A mistake only once】

 北斗が階段へと消えてドアが閉まる瞬間まで、幸崎は屋上の出入り口から視線を背けることも自分が歩き出すことも出来ず、ただ立ち尽くしていた。
「――馬鹿だね、先生」
「酒谷君? 盗み聞きだなんて感心しないな」
「僕のほうが先客ですよ」
 入り口の影に寝転がっていた酒谷は身体を起こし、幸崎の前に姿を見せた。
「放課後、ここで昼寝しながら時間潰すのが僕の習慣なんで」
 酒谷の言葉に幸崎は溜息を吐く。

「それよりも、誤解されたまま行かせて良かったんですか? 先生が好きなのは――あっちの天宮だったんでしょ?」

 幸崎は真っ直ぐ見つめてくる酒谷から目を逸らし、眼鏡のフレームを指で押さえた。
「……どうして酒谷君はそう思うのかな?」
「同じ奴を見てるかどうかなんて、そこそこ付き合いあれば判るもんですよ」
 そう言って酒谷も沈黙する。そして幸崎の隣に移動して、フェンスの向こう側へと視線を移した。
「せっかくだからお互い全部吐き出しません?」
 先生は天宮が吐き出すのを黙って聞いてたんでしょ、と酒谷は言う。
「そうだね……」
「とは言っても、僕は結構早い段階で諦めたんですけどね。あいつは誰にでも優しくするから、周りは簡単に誤解するんです」
 それが意図した振る舞いであるのに、酒谷は気付いてしまった。
「天宮は本当は誰も見ていない。僕は生徒の中じゃあいつに一番近いところにいる、って自信があったから、けっこうきつかったですよ。でも今のポジション以上を望むことを諦めたら、結構楽になりました。こっちが割り切った態度を取れば、天宮は少なくとも友人としては信頼してくれたから」

 けど天宮に一番踏み込めたのって実は先生じゃないですか、と訊かれ、幸崎は曖昧に頷いた。
「天宮が誰を見てるか知ったのは、天宮が先生と話してるところを偶然聞いた時。ちょうどさっきみたいな状況だったんですけど」
「――南斗君は、北斗君自身について話すときはいつも幸せそうだった」
 知らないうちに彼の想いに引きずられたんだろうね、と幸崎はまるで他人事のように呟いた。
「実際の北斗君に会って、南斗君の話と一致する側面を見せられるたび、僕は彼に惹かれていったよ」
 南斗に対しては滅多に笑わなくなったという北斗が、幸崎には屈託ない笑顔を見せる。純粋に彼を慕ってくれる。そのことに密かな優越感を覚えた。
「北斗君に秘密にしてくれと頼まれる前――図書室で初めて遇ったことも南斗君に言わなかったのは、僕のエゴだ」
「文化祭中、僕が天文部の展示の様子を見に来た時も、先生は一組の天宮ばかり見てこっちに気付かなかったでしょ。だから先生の気持ち、解っちゃったんですけどね」
 君には全く気付かなかった、申し訳ないと幸崎は頭を掻いた。

「一組の天宮の話だと、あの時脈があったんだから、先生が自分から動いてれば良かったんじゃないですか?」
「酒谷君は全部は知らないから、そう思うんだろうけど。南斗君は彼自身の想いを全て僕に話してくれた。さっき北斗君に言えなかったような、殆ど悪意に近いと言って良い感情もね」
 南斗君が寄せる全幅の信頼を裏切れなかったし、北斗君に誰一人――親ですら近づけたくない、と言う彼をどこかで怖れていたのかもしれない、と幸崎は言った。
「今の、優等生としての彼が彼である動機も行動原理も全てが北斗君にある。無理矢理奪うかたちで取り上げたら、南斗君は不幸にしかならないと思った。何もしなければ、彼の思いも僕の想いも引き延ばせる、とも」
「けど先生は気付いてた。一組の天宮は実はあいつと同じ事考えてた、って」
 酒谷が指摘すると、幸崎は肯いた。
「南斗君の想いを知れば北斗君もいつか自分の本心に気付くかも知れない。その日が来るのが怖かった。北斗君が双子座を嫌う理由を教えてあげれば、もっと早く南斗君は救われたはずなのに」
 酒谷はそれ以上、幸崎に何も尋ねなかった。
 樫ヶ谷学院の話は、昼に南斗から聞いていた。

 既に日は暮れ、屋上から見える空の半分以上が薄闇に侵食されている。
「――さて、北斗君に頼まれたことを実行しに行かないと」
 屋上を立ち去ろうとする幸崎を酒谷は引き止めた。
「先生は後悔しないんですか?」
「僕は、教師の義務は一人でも多くの生徒を幸せにすることだ、って思ってるからね」
 だから北斗に語った教師の立場としての躊躇いも、紛れも無い本心なのだと幸崎は薄く笑った。
「男性教諭と男子生徒の恋だって、そう大して変わらない」
「やっぱり馬鹿だよ。先生は、馬鹿だ」
 酒谷は俯き、自分自身にも言い聞かせるように、言った。
「僕達と六、七歳ぐらいしか違わないくせに。自分の幸せ追いかけたって良いじゃないですか」

「僕はね、酒谷君。一番肝心なところで取り返しのつかない間違いを犯してしまったんだよ」

 地学準備室で北斗が南斗を殴ったとき、幸崎は心が傷ついた想い人よりも暴行を受けた生徒を優先した。
「あの瞬間、僕は教師としてしか動けなかった。だから」
 既に北斗の心は南斗に向いていて、幸崎を教師以上の存在として見ることは無いだろう。
 もしも、と思うの自由だが、虚しい行動でしかない。
「じゃあ――先生。僕、やけ酒なら付き合いますよ」
「何を言ってるんだい。酒谷君未成年だろう?」
 僕は呑まなくても良いんです、と酒谷は言った。
「それじゃあ、意味が無いんじゃないかな? それに僕は一応、夜まで校舎にいないといけないからね」
「だったら出前でラーメンおごってください」
 あれ、と首をかしげながら幸崎は、それでも良いかと考える。
「じゃあ、職員室までついてきなさい。酒谷君」
 今月の財政は厳しくなったな、と幸崎はわざと明るく言った。

 

(2006/05/27)

番外編/polestarsシリーズ/目次

 幸崎が隠していたカードの最後の一枚。幸崎もまた、ずるくて臆病で、それ故に優しくするしかできなかった人でした。