【逃亡編 その1】
2006.06.12 20:07
「……たまに『実家に帰らせていただきます』って言いたくなんだけど、その実家が同じ場所じゃあなぁ」
「俺は言ったことあるぞ」
「畜生、羨ましい」
「男としては羨まれても全然嬉しくねーよ」
「あー、誰か何とかしてくれあの万年…」
「ピー」
「――何その奇声」
「規制を被せてみた」
「何だよシャレかよ」
「とにかく遠回しにのろけんな」
「ちっ、違ぇよ! 第一菱井だって修学旅行のとき人のこと売り渡したじゃねぇか!」
「……ありゃ、やっぱ根に持ってた?」
「当たり前だっつうの!」
2006.06.27 01:40
「……海行きてぇ」
試験期間中なのに何言ってんだよ、と菱井は俺の頭を小突いた。
「試験休みの時で良い、一日だけで良い、何も考えずに海水に浸かりたい」
「なんつぅか、そいつは無理じゃね?」
「解ってる。あいつは絶対ついてくる」
「で、一緒に行ったが最後、岩陰で何かされる、と」
「んな不吉なこと言うなぁっ!」
俺は思わず怒鳴った――けど多すぎる前科の事を考えっと否定出来ねぇのが嫌すぎる。
「図書室で騒ぐなよ」
「あ、酒谷」
酒谷は俺達の隣に腰を下ろした。
「で、キタミヤは教科書も開かず突っ伏して何をぼやいてるんだよ」
「北斗は魔の手から逃れてオホーツクに行きたいんだと」
「全然違うじゃねぇか!」
2006.06.27 07:30
「キタミヤの事情は解ったよ――だったら僕と海、行く?」
「待った? 酒谷」
「いや。全然」
試験終了日、一度家に帰ってから一泊ぶんの荷物持って俺は駅で酒谷と落ち合った。
「ミナミヤにはばれなかった?」
「ラッキーなことに母さんに買い物行かされてた。あ、こっちとは逆方向だぜ」
ならいいや、と言いながら酒谷は先に買ってたらしい乗車券を俺に寄越した。
これから行くのは、酒谷の伯父さんが持ってると言う、海のすぐ近くの部屋だ。両親には友達と泊まり込みで勉強すると言ってある。期末終わったばかりなのに感心だ、なんて喜んでたな。
「夜は本当にみっちりやるからな、英語。泳ぎ疲れて寝るなよ」
「わかってるって」
俺は携帯の電源を切った。家出る前、机の上に「実家に帰らせていただきます」って紙置いてきたからな。あと、追伸で連絡網爆撃しても無駄、とも。母さんにも一応口止めしといたし。
今日はもう、南斗のこと考えずに済むんだ。
2006.06.27 21:07
「あぁ……一体いつ何されるか怯えねぇで良いなんて幸せ……」
極楽気分で呟く俺に向かって、酒谷はいい歳して浮き輪使用なんてありえない、って言ってきた。
「自力で泳げよ」
「俺は泳ぐことじゃなくて浮くのが好きなの」
「だから水泳部には入らなかったんだ」
ちなみに今俺が使ってるデカイ浮き輪は、酒谷と海に行くことが決まってから買ったやつだ。
「浮き輪で話が逸れたけど、キタミヤって普段どんな生活送ってるんだよ」
「酒谷は見ただろ……――」
思い出すと今でも鳥肌が立つぐらいやな記憶だ。しかもタイミング良く顔に海水がかかった。酒谷の仕業だ。
「まったく、人が昼寝してる横で、とんでもない連中だと思ったよこっちは」
「あれは南斗が悪い!」
「流されてる時点でキタミヤも同罪だって。まぁそれでもあのミナミヤには引いたけどね」
前に酒谷は、南斗と本当の意味でダチになるには一旦とことんまであいつに幻滅しないとダメだ、って言ってたのを思い出した。
「けど、へぇ、二人きりだとあーいうノリなんだ。そりゃ大変だね」
「そうなんだよ、隙あらば、って感じだから参るんだよ。何で俺いつも怯えてなきゃなんないんだよ」
俺はそういう人形じゃねぇよ、って最近よく思う。だからこその「実家に帰らせていただきます」宣言だ。
「……ミナミヤは完璧キタミヤに溺れてるからね。お前ってそんなにイイものなのか、って興味湧くよ」
「おまっ!」
冗談だよ馬鹿、って酒谷は今日二度目の水鉄砲を飛ばしてきた。
「僕の推測だと、お前達が生まれてくるとき性欲の七、いや八割はミナミヤのほうが持っていったね。間違いない」
「羞恥心の割合は逆だけどな……」
「ミナミヤの凄いところは、それを対外的には完璧に隠して爽やかキャラに撤してるところだよ」
二年のときのあの騒動の後も、南斗はすぐに何事もなかったかのように振る舞い、噂は「天宮会長にはカノジョがいる」と言う程度にとどまった。
「俺だって四年近く騙されてたからな」
今なら小野寺先輩が南斗をスカウトした理由が納得できる。あいつの腹芸は正直凄ぇ。
2006.06.28 07:20
「事情を知ってると扱いやすいんだけどね。その点キタミヤには感謝」
「俺酒谷に何かしたっけ」
「ミナミヤが会長仕事だらけてた時、お前を餌にしたら即食い付いてきたもん」
酒谷は俺の生写真を何枚も用意したことを明かした。入手経路は極秘だっつってたけど、怖い、怖すぎる。
「……鬼だこの副会長」
「元、ね。話変わるけど、キタミヤずっと上向いたままだと焼けない? 親にばれるよ」
空は気持ち良いぐらいの快晴で、紫外線がじりじりと肌にあたっている。
「気分転換に泳いだって言うよ。勉強はこのあとすんだから嘘はついてねぇし」
だから今はもうちょっと、海に浮かびながらぼーっとしたかった。
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