【逃亡編 その3】
2006.07.05 07:34
「――凄ぇ気持ち良い目覚め」
昨日泳ぎ疲れたからよく寝れたんかな。
「お前はほとんど浮いてただけに見えたけど?」
「痛いとこ突いてくるな酒谷……」
「ちなみにいつもの朝は?」
「暑苦しい。たまにだるい」
よく解ったよ、っつって酒谷は肩を竦めた。
メシ食って綺麗に掃除してから俺達は酒谷の伯父さんの部屋を出た。
「酒谷。切符は?」
用意の良い酒谷の事だから、多分帰りの乗車券も買ってんだろな、って思ってきいてみたところ、あいつは「駅でね」と答えた。
駅に着く直前、酒谷は携帯で誰かに電話を掛けて、相手が出なかったらしくすぐに切った。
「お前せっかちなのな……そうだ、俺もいい加減電源入れとかねぇと。途端に煩くなりそうだけ、ど――!?」
駅からこっちに向かって走ってくる人影は嫌んなるぐらい見慣れたもので、けど絶対にここに居るはずない奴で。
抱きつかれて、勢いで倒れないように必死で踏張った。
「北斗、北斗」
「南斗、何でお前」
「――じゃあ僕、先に帰るから。キタミヤの券用意してないから自分で買えよ」
しっかり二人で話し合えよ、って手を振りながら酒谷は駅舎へと消えた。
2006.07.06 07:42
「何でリングしてないの? 本当に、俺のこともう嫌になった?」
「違ぇよ、っつかタンマ! 公衆の面前はやべぇって!」
とにかく落ち着いて話さねぇと、ってわけで、俺は南斗を引っ張っていかにも田舎にあります寂れてます、って感じの喫茶店に入った。
コーヒー一杯の値段にたまげたけど、他に客がいねぇ、って環境のためなら仕方ねぇ。店の隅っこの一番目立たない席選んだけど、小声で話すに越したことはない。
注文したもんが揃うのを待ってから、まず俺はカバンを漁って去年南斗から貰ったリングと、昔から愛用してるイヤーカフスをテーブルの上に出した。
「海水に浸かると駄目になりそうだったから、シルバーは外してたんだよ。安心したか?」
南斗は軽く頷く。
「お前が来たのってやっぱり酒谷?」
「うん。昨日の夜携帯に電話が掛かってきた。それで、北斗が俺の、その、態度に不満があって一人になりたがってた、って聞いた」
言葉を濁した、って事は、南斗はちゃんと知ってるって事だ――完璧やられたな、酒谷に。
けど、あいつがお膳立てしてくんなきゃ、俺が家に帰ってからもっと感情的に怒鳴り合いを繰り広げてたかもな。こうして冷静に話し合いなんて出来んのは酒谷のおかげだ。
「でも酒谷も全部は聞いてない、って言っていたし、北斗の口からちゃんと聞きたい」
煮詰まる前に話しようって言ったのは北斗だよ、って南斗は泣きそうな声で言った。
2006.07.07 08:03
「お前がひっつきたがんのって、俺らの関係を保障出来んのがお互いしかいねぇから、そういう事で再確認してるのかも、って思ってた」
愛情を、って付け加える時、北斗は微妙に躊躇った。二人きりの時でもひどく恥ずかしがるのは昔からだからだけど、気になるのは過去形を使ったって事だ。
「けどお前はだんだん図々しくなって、二人でいる時最初からやること前提って感じで触ってくるし、最近じゃ俺、セクハラ受けてるみたいで嫌だった――それって何か違うだろ」
そういう目でしか見てないのか、それじゃまるで人形と同じじゃないかって感じた、と北斗は語った。
「俺、北斗を人形扱いとか、そんなつもり全然無いよ? 本当はいつでもゼロ距離でいたいけど、人目があると無理だからその分二人きりの時は抱き締めたいし、そうするとやっぱり自然とマイナス距離まで持ち込みたくなるし」
そんな事を思うのは好きな人が相手だからだ。誰でも良いわけじゃない。
「ある程度スキンシップは必要じゃん、って俺も思うけどさぁ、過剰だ、って相手に思わせたらアウトじゃね? 好きだからやることなのに、手段と目的が入れ替わってるみてぇな。南斗にはそこんとこ解ってほしい」
俺は不安になった。
北斗が傍にいるだけで、いつでも俺は煽られてる。北斗に負担を掛けないようにうまく制御できるか、正直自信が無い。
正直に告げると、北斗に昔は出来てたじゃん、って言われた。
「俺のほうが告白ちゃんとしてから最初の時まで、お前ひたすら我慢してただろ。あれもまぁ極端だけど。感じたことを普通に言い合うことから始めようぜ?」
本当に普通に、自然な流れで誘われる分には嫌ではないのだと途切れ途切れに伝えられ、俺の顔まで熱くなった。
2006.07.08 11:41
帰りの列車の中、俺達は言葉少なに車窓を流れる景色を眺めていた。正確には、俺の方は外を見ている北斗の顔の輪郭を、だけど。
俺は相変わらず馬鹿なままで、今回のことも、際限無く溺れるに任せて北斗が爆発するまであいつも同じ想いだって思い込んでいた。
酒谷からの電話も北斗の訴えもかなり堪えた――相手の気持ちを置き去りにするなんて、恋人失格だ。
やっと掴ませてもらった北斗の手を一生離さない覚悟なら、俺はずっと努力し続けなくちゃならない。あいつにもずっと俺を好きでいてもらうために。
「……もう消えちゃやだ、ほっくん」
幼い頃、喧嘩して仲直りするたびに言った台詞を小声で呟く。
「何その十年以上は軽く使ってない呼び方」
独り言のつもりだったのに、北斗には聞かれていた。
「だったら俺も言うぞ、『なっちゃん』って」
「なんかジュースみたいだよ……」
「やーい、なっちゃん、なっちゃん――あ」
まさか今度は幼児プレイを強要するつもりじゃねぇだろうな、って顔をしかめる北斗を見て、まずは堕ち切った信用を回復させるところからだな、ってしみじみ思った。
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