【大学生編・卵焼き編 その1】
2006.11.07 07:30
「おはよう、北斗」
「ん……何この匂い、味噌汁?」
「そうだよ、たまにはね」
休日や一限無しの日はきちんとした朝食を作る――それが二人暮らしを始めてから決めた、料理の腕を上げるためのルールだ。どちらがやるかは明確に決めていない、と言うより殆ど俺が作っているようなものだ。
理由は今更言う必要性が無い。
そのぶん夕食を北斗が引き受けるんだけど、現状が続けば北斗のほうが俺よりずっと料理上手になりそうだ。
「今回は米がべちゃべちゃになってねぇだろな」
「流石に気を付けたよ」
味噌汁だってちゃんと味見したし。
ひじきみたいな惣菜は作ると数日食べ続けなければならないので、出来合いのものを買ってくる。今朝のだし巻きもそうだ。ただしこれは単に卵焼き鍋を持っていないのが理由なんだけど。
「卵焼き見ると思い出すんだよなぁ」
「何を?」
「高校の時の菱井の弁当。俺がへこんでる時、あいつがよく一切れくれたよ」
2006.11.08 07:34
それから北斗は菱井家の卵焼きがいかに美味しかったかを熱く語った。
ふわふわで少しとろっとしていて、甘い甘い卵焼き。
断然だし巻き派の俺には、そういうのが北斗の好みであることに全く気付いていなかった。
よくよく考えれば北斗は味がはっきりしたものが好きなのだから分かりそうなものなのに。不覚だ。
この話題はすぐに流れたが、俺はある決意をしていた。
2006.11.08 20:22
まさか、引っ越しの準備以来自分で調理器具を買いに行く日がこんなに早く来るとは思わなかった。
ざっと見ただけでも沢山の種類があり、目的のものを探そうとする前に途方に暮れてしまいそうだ。
「やっぱり天宮君だ! こんなとこにいるなんて珍しいね」
「篠原さん」
声を掛けて来たのは、俺と同じところでバイトをしている篠原さんだった。大学は違うけれど学年は同じなので、バイト仲間の中では比較的よく一緒に喋る仲だ。
「天宮君は実家出てるんだっけ。フライパン焦がしたの?」
違うよ、と笑って否定し、俺は卵焼き用の鍋を探しているのだと彼女に説明した。
「何、料理に目覚めちゃったの? でも何で卵焼き?」
「突然手作りの卵焼きの味が恋しくなったんだ。このあと帰って特訓」
「結構難しいよ?オムライス作るつもりでスクランブルエッグになっちゃうような人には特にね」
卵何パック無駄にするかしらね、なんて篠原さんには言われたけど、実のところそれが最大の懸念事項だった。
あくまで秘密の特訓だし、共有の生活費から費用を出すわけにはいかない。鍋だって当然自腹だ。
「天宮君、良かったらうちで教えてあげようか? これでも高校の時調理部だったんだから」
「え、本当?」
確かに本を頼りに一人で練習するより、一度習った方が効率が良さそうだ。
「うん。授業料はお茶一回で良いよ」
「でも、篠原さんの彼氏に悪くないかな」
「清十郎には今許可を取るわよ」
そう言って篠原さんは携帯を取り出した。
彼氏君は確か、一つ年下で今受験生じゃなかったろうか。
やはり余計な不安を与えない方が良いんじゃないだろうかと思った俺は篠原さんの申し出を断ろうとしたけれど、振り返った彼女は「許可取ったよ」と笑顔でそう言った。
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