「一年で一番可愛いのってさぁ、うちのクラスの小泉だよな」
「だよなー、胸おっきいし。触ってみたいよなぁ」
中学生にもなると皆「そういうこと」への興味が顕著になってきて、休み時間に男同士で集まると、よくそんな話で盛り上がった。学校帰りに公園で雑誌探しが習慣、なんて公言してる奴もいる。
「天宮もそう思わん?」
「え? あ、うん」
一瞬答えに詰まったのは偶然、数日前に小泉さんから告白されたばかりだったからだ。
放課後の教室で一人で日直日誌を書いてる時、彼女が入ってきて、まるで前日のドラマの感想を訊くかのような感じで「私、南斗君の事好きなんだけど?」って言われた。
あまりにさりげなくて最初は何のことだか解らなくて、日誌に落としていた視線を正面に向けると小泉さんの顔が近くにあった。
同年代のアイドルぐらいかそれ以上に可愛い子、という評価は俺もしていた。ただ、彼女自身もそれを自覚してて振る舞っている印象もあった。
それでも、普通だったら校内のアイドルからの告白なんて断らないだろう。
「――ごめん」
しかし俺の口からは、何の躊躇いも淀みも無く謝罪の言葉が出た。
小泉さんはそっか、とだけ呟いて、俺の側から離れていった。
告白のことを小泉さんは他人に話してなかったらしくて、翌日その件について詮索されることは無かった。俺のほうでも男子達の間での彼女の人気を知っていたから、誰にも言わない方が身のためだろう、と判断した。
その日は数人の友達と下校していた。
「あっ、オレの塾ってここにあるんだよね」
田中が指したのは古いワンルームマンションだった。指導方式はマンツーマンで、塾の経営者がそこの一室を借りて教室にしているという。当然、普段から人は住んでおらず、生徒と教師のうち、どちらか先に来たほうが部屋の鍵を開けるそうだ。
「鍵ってどうしてんの?」
「郵便受けにダイヤル式の南京錠がかかっててさ、そん中に入れてあんの。生徒は番号教えてもらえるんだよ。そうだ、こないだオレのほうが先に来て凄いの見つけたんだよ」
田中は入り口の所に皆を連れて行くと、南京錠を外して郵便受けを開けた。
「おっ、入ってた入ってた」
「何これ――うぉっ、アダルトビデオのチラシ!?」
「なんかさぁ、一人暮らし用のマンションだからかしょっちゅう入ってるらしいのよ」
白やピンク、黄色の紙に一色のインクで印刷された裏ビデオ販売のチラシは、いかにも素人制作って感じだけれど、中学生にとっては十分すぎる収穫物だ。田中の言うとおり枚数も多かったので、その場にいる全員でランダムに山分けと、言うことになった。
「はい天宮」
俺も渡されるままに一枚受け取って、学生鞄の中に突っ込んだ。
母さんに見つかったら非常にまずいので、俺は自分の部屋に入り内側から鍵をかけてからチラシを取り出した。友達づきあいの一環として貰ったようなもので、俺にとっては小泉さんからの告白と同レベル程度の価値しか存在しなかったけれど、きっと次の日に感想を訊かれるだろうと考え、一通り目を通しておくことにした。
俺が受け取ったチラシは、B5サイズの白い紙の両面に墨で刷られたものだった。小さな写真が並んでいて、それぞれにビデオの内容説明が書き添えられている。
当然と言えば当然だけど、写真の印刷は粗くて汚いうえ、ところどころ掠れている。でも文字だけで写真が一切無い、しかも小さいチラシに比べれば、この手のものとしては上等な部類に入るんだろう。
かなりぼやけた輪郭の、顔のアップ写真をちらりと見て、こういう方がかえって好きな子を当てはめて想像しやすいのかもしれない、と考える。
もし俺だったら、誰を?
思いついた途端――身体が有り得ないぐらいに反応した。
上気した頬も潤んだ瞳も、俺の名を呼ぶ甘く掠れた声も、全てが脳裏で鮮明に構築される。
止まらない。
止まらない。
止まらない。
「う……そ、おれ、俺――」
「南斗。メシできたって――おい、寝てんの?」
俺が一度、水を飲みに階下に降りたから、部屋の鍵は開いていた。
北斗が部屋に入ってきたのが気配で判って、俺は頭から被っていた布団を更に引き寄せた。
「……いらない。いま食欲無い」
「え、マジ?」
羽毛越しに押してきた北斗の手を感じて、身体が震えた。
勿論、食欲が無いというのは真っ赤な嘘だ。
「母さん呼ぶ?」
「いい。後で食べるから残しといて」
極度の緊張と罪悪感で、俺の心臓はいつ裂けるのかと恐怖する。
早く北斗に出て行って欲しい。何かの弾みであいつの顔を見てしまったら、どうすればいいのか解らない。
同じ男なのに。
家族なのに。
兄弟なのに。
北斗と同じでありたいという幼い想いは叶えられないと知った時から変質し、いつしか北斗の全てを独占したい、自分のものにしたいという、双子の片割れに対する執着を遥かに超えた――心の渇きだけじゃない、身体の餓えまで伴った激しいものになっていた。
「あ、そうだ南斗。俺さぁ、今日お前のクラスの小泉さんに告られた」
いいだろ、って言う北斗の嬉しそうにはしゃいだ声を聴いて、俺の両目に涙が滲む。
やっぱり――俺と北斗は違う。
北斗は可愛い女の子と付き合える事を喜ぶ、ごく普通の男子中学生だ。
男、しかも双子の弟を恋愛対象にすることは決して無い。
もし俺の気持ちを知ったなら、北斗は俺に対して強い嫌悪を抱くだろう。こんな兄弟なんか要らない、って言われるかも知れない。拒絶され、本当に側に居られなくなってしまう。それだけは絶対に嫌だった。
だったら隠し通さなきゃならない、異常としか思えないこんな感情は。
知られたら、想うことすら許されなくなる。
自覚した瞬間から叶わぬ事を運命づけられてしまった、苦しい恋の始まりだった。
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