「天宮の兄貴の方って最近全然来なくなったな。前はよくお前に教科書借りに来てたのに」
「最近は寝る前に鞄の中身徹底チェックしてるみたいだけど」
「まぁ小泉さんのことがあるから来にくいよなぁ。ここ来たら顔絶対見ちゃうし」
「悪い意味で目立っちまったしなー」
北斗に対しては同情的な意見が多かったし、噂が収束するのにも時間はそれほどかからなかった。
けれど、落ち着いてからも北斗が校内で俺に話しかけることは殆ど無かった――二年に進級しても、そして三年になってからすらも。
休み時間、校庭でクラスメイト達と遊んでいるのは見かけたけど、俺が知らないところで北斗が何をしているのか、訊いてもいつもはぐらかされた。それは俺にだけじゃなくて、両親に対しても同じらしかった。
一年の時に俺と、二年で北斗と同じクラスになった奴にそれとなく探りを入れてみたところ、大勢で遊ぶときに誘われれば付き合うけれど、どの友達グループにも入らず部活や委員会などの積極的な活動もしておらず、北斗のごく個人的な交友関係は判らないと言われた。
「そんなネクラとかオタクとかって感じじゃないけどさ。一匹狼? って言うわりには尖ってるってより周りに興味無さそうだけど。あの事件の前は別に普通だったよな?」
失恋ってそこまで人を変えるのかなぁ、と言う言葉は酷く遠く聞こえた。
どんなに事態を歯痒く思っていても、俺が北斗に対して強く出られなかったのは、本心を隠したかったのが他ならぬ俺自身だったからだ。北斗に悟られぬよう、両親にも誰にも気付かれぬよう、想いが表に出そうになるたびに必死で誤魔化した。
一度きりの失敗すら許されない演技。
役どころは難しいものじゃない。ただ「いつもの俺」で在れば良いだけだ。
演技はいつしか日常的に被る仮面となり、一人歩きを始めていた。
一年一学期の期末から学年主席の座を殆ど落とした事は無く、指名されて学級委員を勤めるほど先生からの信頼篤い、それでいて友達づきあいが悪いどころか平均以上の「優等生」。
自分で言うのは酷く滑稽だけれど、それが俺の被った仮面に対する周囲の評価だった。
仮面が完璧になればなるほど俺に対する注目は上がる。毎日のように友達からの誘いを受け、成績が出るたびに両親に誉められ、受験が近づくにつれ教師陣からは期待の言葉をかけられる。
俺はそれで良いと思うようになっていた。
「北斗。今日、一年の子から告白された」
「また? 断った?」
「うん」
俺は誰かから告白されたりラブレターを貰ったりするたびに逐一北斗に報告するようになった。全て返事はノーだと相手にはきっぱり告げていたけど、俺が小泉さんを詰った事をすっかり忘れていたり、後輩の場合はそもそも知らなかったりで、何人かはその後北斗を不愉快な気分にさせているようだった。
北斗も当然、女子からの接触を頭から警戒するようになる。俺の狙いはそこにあった。
俺は二度と小泉さんの時のような思いをしたくなかったのだ。
北斗に特別な人が出来るのを見たくない。いつか来るとは解っていても、その時を出来る限り先に延ばしたい。
ならば注目を全部俺に集めてしまえばいい。そうすれば北斗自身を見る人間はいなくなるし、北斗のほうも他人に期待しなくなるだろう。思えばこれまでだって無意識のうちにやってきた事だ。
異性も同性も、家族だって関係ない。父さんや母さんが北斗を構う事すら、想いを自覚する前から俺にとっては苦痛だったのだから。
北斗を見るのは俺一人だけで良い。
「いちいち報告しねぇでも良いのに。でも、サンキュな」
「また怒られるの嫌だからね。俺、これからコンビニ行くけど何か買ってくるものある?」
「あー……最近CMやってる菓子、名前なんだっけ」
「芸人のCMの奴? だったら見たら判るし、あれば買ってくる」
「金は? 後払いで良い?」
「別に良いよ、俺もあれ一度食べてみたかったし」
「んな事言って、誰かんちで食ってんじゃねぇの? お前のことだから」
「ないよ。買って帰ったら一緒に食べよう?」
北斗は素っ気ない口調でいいよ、と言う。昔みたいに弾けるような笑顔を見せてくれなくなっても、学校での俺には興味が無い、とあまり話を聞いてくれなくなっても、北斗は俺と辛うじて「兄弟」でいてくれた。
表面上はどんなに取り繕えていても、俺が北斗を恋愛対象として、更にあけすけに言ってしまうと性の対象としてすら見ている、という事実は曲げられない。北斗が「姉」だったらまた事態は違っただろうけど、男兄弟という間柄の無防備さは俺にとっては時に拷問に等しかった。同時に、俺がそう思ってしまうだけで何も知らない北斗を汚しているようで、自分が嫌でたまらなかった。
それに、たとえ北斗を見ているのが俺だけだとしても、北斗が俺だけを見てくれるよう努力することは決して出来ないのだ。
やり場のない想いをどこにぶつければいいのか。
俺は、星の世界に改めて目を向けた。
全てのきっかけである北極星とそこから広がる星空は、俺にとって北斗の存在に等しかった。星ならば誰にも憚ることなく追いかけることが出来る。
将来は天文学を勉強しよう、と思った。北斗には一生好きだと言えないから、代わりに星空を見つめ続けよう――そうすることで、今は邪な感情もいつか綺麗で純粋なものに戻るんじゃないかと、ささやかで切実な願いをかけることにした。
高校の受験先は惣稜高校一本に絞った。理由はただ一つ、そこが北斗の第一志望だったからだ。
担任からはもっとレベルの高い進学校、例えば隣県の樫ヶ谷学院等を受けるように何度も説得されたし、両親もなかなか納得してくれなかった。それでも俺は、家から一番近いから、と言う北斗と同じ志望理由を繰り返し、周囲の言うことに全く耳を貸さなかった。
俺が考えていたのは、高校受験よりその先だ。正直大学受験はどの高校からだって出来る。ただし、どこを目指すかは入念に調べないとならない。
リビングの模様替えの時に余ったスライド棚付きの本棚を貰った俺は、ロックのかかるスライド棚の裏に天文学関係の本や受験の資料を隠した。どうしても言わなければならない時が来るまで、北斗には俺の将来の夢を黙っておきたかった。
何故ならば、それは北斗への恋と同一なのだから。
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