寸分違わぬブレザー姿の人間が二人、並んでいる。
数週間前までは詰襟だったお互いの姿を見ると、何となく笑ってしまう。
「二人とも、準備できた?」
母さんは普段滅多に出さないスーツを着ている。入学する俺達より浮かれているみたいだ。
「南斗、新入生代表宣誓の原稿はちゃんとある?」
「さっき確認した」
母さんが張り切ってんのは多分それのせいだぜ、と北斗は俺の鞄を叩いた。
クラス発表を確認すると俺は八組、北斗は一組だった。元々のクラス数が多いせいだけど、開いた距離は過去最高だ。
北斗は自分のクラスを把握してしまうと、俺にかまわずさっさと一組の列に混ざってしまった。
またゼロから始めなければならないけど、仮面を被ることを憶えた俺には中学の時よりずっと余裕があった。高校生活のスタートラインの立ち位置も仮面を強化してくれる。
しかし入学式で一つだけ誤算があった。プログラムが新入生代表宣誓に移る際、司会役の教師が誤って北斗の名前を呼んだのだ。北斗は全く反応せず、すぐに訂正され俺が呼ばれたけれど、その後の北斗の機嫌は最悪で、初日ぐらいは一緒に帰れるかと思った俺が一組に寄った時にはあいつは既に下校してしまった後だった。しかも声を掛けた一組の生徒の反応が微妙だったのを見ると、北斗は早くも何か騒動を起こしたらしかった。俺が帰宅してから新しいクラスはどうかと訊いてみたけど、返事は何も返ってこなかった。
一学期が始まってすぐに校内は部活の新入生勧誘ムードになる。
「なぁ、天宮はどの部活入る? 前は何やってた?」
「特に何もやらなかったから、未だ決まったのは無いかな」
中学の時は北斗が帰宅部だったせいもあって、俺自身も特定の部活動は行っていなかった。時々友達に誘われて練習の合間に遊んだりはしてたけれど。
部活のPRが纏められたわら半紙製の冊子をパラパラとめくって、俺は心の中だけで溜息をついた。
伊勢原には決まっていないと言ったけれど、本当は入りたいと思っていた部活はあった。
天文部。
俺達の中学には無かった。北斗への恋を自覚する前から判っていたことだから、それは仕方がない。
ならば個人的に活動するしか無いのだが、北斗に知られてはならない、と言う条件は即ち両親にも極力知られてはならないと言うことで、行動をかなり制限されてしまう。
頻繁に、しかも家族にばれないよう夜中に家を抜け出すのは困難だ。第一俺達が住んでいる街中では観測条件があまり良くない。満天の星空を見たくても、中学生一人で遠くに行くのは無理な話だった。
だから高校では絶対に天文部に入部しようと思っていた。学校での俺に興味がない北斗にそれを隠すのは、多分あまり難しいことじゃない。
けれど、ここにも天文部自体が無いのなら無意味だ。学校見学の時にちゃんとリサーチしておけば良かった、と今更ながらに後悔した。あの時は北斗と一緒に校内を回れるのが嬉しくて、そんなことは頭からすっかり抜けていたんだけど。
しかし三年間というかなり長い期間を無駄にすることは出来ない。
それまで俺の装備は小さな双眼鏡しか無かったけれど、手ぶれを気にしなくて済む天体望遠鏡が欲しかった。入門機なら貯めてきたお年玉で買うことは出来る。けれどそれが自宅にあれば、北斗に見つかる可能性は格段に上がるだろう。
校内に密かに隠しておける場所は無いだろうか、と考えた時、理科棟の地学準備室のことを思い出した。あそこなら天文関係の機材が置いてあってもおかしくない。
地学の教師が誰なのかは知っていた。今年から入った教師のため、全校集会で生徒に紹介されたからだ。
「あら、天宮君。どの先生に用があるの?」
「幸崎隆先生って何処の席にいらっしゃるんですか?」
「幸崎先生は理科の先生方の島だから――」
教えられたとおりの場所に行くと、かすかに見覚えのある若い男性教師が何かの書類と格闘していた。
「あの……幸崎先生、ですか?」
「そうだよ」
かなり懸命だったはずなのに、戻ってきた返事のトーンはとても穏やかだった。
ワンテンポ遅れて幸崎先生が俺のほうを見た。眼鏡の向こうの双眸は声と同じく優しげだ。
視線が合うと、感じていた緊張がゆるゆると解けた。
「僕に何か用かな?」
「お願いがあって来たんですけど……あ、俺は一年八組の天宮南斗と言います」
「天宮君、か。確か新入生代表の?」
「憶えていてくださって有り難うございます」
――感じたのは、俺に対する「注目」を感じる時の昏さとは違う喜び。
「地学準備室に個人の天体望遠鏡を置いておく事は可能ですか?」
「望遠鏡?」
幸崎先生にとって俺は直接接点が無い一年生のうえ、予想外の話だったんだろう。声が少し裏返った。
「はい。購入しようと思っているんですけど、大きいのは家には置いておけなくて。だからここに通っている間だけでも学校に預けておくことは出来ないか、と」
幸崎先生はほんの少しだけ俺から視線を外して考え込んだ。
「僕も新任で、地学準備室の使用に関してどれだけの権限があるのか未だ把握しきっていないんだ。申し訳ないけれど保留にしておいて貰えるかな?」
先生からの返答に俺は落胆したけれど、すぐに思い直す。五月頭のこの時期、先生だって新しい職場に一生懸命慣れようとしているところなんだ。
「はい、突然変なことを言って申し訳ございませんでした」
「いや僕のほうこそ、頼りない教師ですまないね」
先生は穏やかに微笑み、星が好きなのかい、と質問してきた。
「はい。自分の名前が星から来ているので」
「『南斗』、射手座にある南斗六星が由来なんだ、珍しいけれど良い名前だね」
十二歳になったばかりの頃の、北斗とのゲームを思い出す。南斗六星だけではなく、射手座も俺の勝負カードの一枚だった。
「一年に天宮君はもう一人いたね。そちらの名前が『北斗』だったっけ?」
俺にとっては切ない想い出を、更に押されて胸が痛んだ。
「僕もまだまだ未熟だけれど、何か質問や相談があったら遠慮無く僕の所に来ていいからね」
幸崎先生に優しく微笑まれて、俺は危うく涙腺を緩めるところだった。
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