INTEGRAL INFINITY : doublestars

 地学準備室から、三年の授業のための天体望遠鏡が見つかった。俺の部活動はまず、その使い方を習得するところから始まった。

 小野寺先輩の権力(と表現してもこの場合差し支えないだろう)で、生徒会の顧問の座も幸崎先生に渡された。流石に「僕にそこまでの事が出来るとは思えないよ」と困ってしまった先生を、小野寺先輩と山口先輩が逆に「顧問がすべきこと」を教えるから、と説得してしまった。
 そのおかげか、生徒会の仕事が長引いた場合、終了後にそのまま天文部としての活動にシフトすることもあった。屋上に運んだ天体望遠鏡で初めて月のクレーターを見たとき、俺は感動で胸を詰まらせた。
 最初から名義貸しだと断言していた小野寺先輩や山口先輩は気が向いたときだけしか参加しなかったが、酒谷は暇な時には天体観測に付き合ってくれた。

 それでも、大抵の場合は俺と幸崎先生の二人きりで夜空を見上げていた。

 先生の専門は天文では無かったけれど、俺の質問に対してはいつも、時間がかかってもきちんと答えてくれた。
「生徒の疑問にちゃんと答えられる教師になりたいからね」
 それが幸崎先生の口癖だった。
 穏やかで優しくて、誠実――俺は先生からそれ以上の何かを本能的に嗅ぎ取っていたのかもしれない。
 俺は小野寺先輩に対しては、その眼力や能力に対する尊敬から本音で接することが出来る。
 幸崎先生は今年教職に就いたばかりで、誰の目から見ても有能な教師、と言う訳じゃない。でも、この人の側にいると仮面のほうが自分から剥がれていくように感じられた。
 決して恋愛感情じゃない、けれど感じる、素顔を全てさらけ出しても良いと思える程の絶対的な安心。
 そのようなものを意識せず与えられるのが、先生が持って生まれた或る種の才能なのかもしれない。

「――先生。綺麗ですね、夜空って」
「どうしたんだい、改めて」
「ええ、今更ですけど、そう思ったんです」

 接眼レンズを通して届く、天の北極の光。
 心の中にどんな嵐が吹き荒れていても、目にするだけで鎮まっていく。
――好き。大好き。
 代わりに募るのは、言えない言葉と愛しさで。
 バランスとアンバランスの間を行ったり来たりしながら、俺の想いは膨らみ続けた。

 そして生徒会兼天文部の夏合宿、二日目の夜――満天の星空の下で俺は幸崎先生に全てを語った。

「そんな事情が、あったんだね、君には」
「星が好きなのは本当です、でもそれは俺の中で、実の兄が好きだって感情と切り離せないんです」
 幸崎先生は俺が期待したとおり、俺の告白をただ黙って聞いて、受け入れてくれた。
 聞いて貰う、と言うとても単純な事が、これほどまでに心を軽くしてくれるだなんて俺は今まで知らなかった。
「っ……!」
「天宮君!?」
 不意に、頬を流れるものを感じて慌てて拳で拭う。けれど止まらなくて、どうしようもなくて。
「すみま……せん……先、せい、ちょっとこのまま、で」
 俺は幸崎先生の胸に額を置かせて貰って、涙が止まるまで、そうしていた。

「天宮君――辛かっただろう」
「自分で思っていたよりも、ずっとそうだったみたいです」
「君は先生方から『歳よりずっとしっかりしている』と言われているけど。無理のしすぎは良くない。僕ですら心は未熟だと思うのに、ましてや天宮君はまだ十六なんだから」
 背伸びをすることしか考えていなかった俺に、幸崎先生の言葉は消毒液のようにしみた。
「天宮君の心の問題だから、専門家ではない僕が出来ることは少ないけれど。君が少しでも楽になるなら、僕はいつでも天宮君の話を聞くよ」
「有り難うございます。先生が迷惑じゃなければ、話させてください」
 その時、宿泊先のペンションのある方向から俺達を呼ぶ声が聞こえた。
「先生ー! 天宮ー! まだ終わんないんですかー?」
「……あ、酒谷だ」
「かなり長いこと喋っていたんだね、僕達は」
 片づけようか、と幸崎先生は僕の肩を軽く叩いた。

 帰宅した日、両親は合宿の様子を聞きたがったけれど、北斗だけはいつも通り興味が無さそうに自分の部屋へと戻ってしまった。
 親から解放されてから俺は北斗の部屋のドアを叩いた。
「北斗。ドア開けて」
「――なに?」
「お土産」
 ドアが開けられると、俺は北斗の左手を取ってその掌にボールペンを握らせた。合宿先の最寄りの駅で売っていた、所謂「ご当地もの」だ。
「げ。男にファンシーなもん買ってくんなよ」
「キーホルダーやストラップのほうが始末に負えないでしょ」
「まぁ、そりゃそうだけど」
 今流行ってるんだし誰も何も言わないよ、と言ってあげると、北斗は「南斗だったらな」と眉をしかめた。
「なんかさぁ、お前、妙に機嫌良くない?」
「え? そう見える?」
「……合宿、そんなに楽しかったのかよ」
 北斗は俺の返事を待たずにドアを閉めた。
「楽しかったよ」
 俺はその場から動かずに、俺の声なんか聞くつもりが無い北斗に、でも聞かせたくて言った。
「俺、北斗のこと好きでい続けられそう」

 まだ夏休みのうちから、今期生徒会は最大の仕事である惣稜祭に向けて本格的な活動を開始した。
 また、天文部のほうも学校公認の部である以上は何らかの展示をしなければならない、と幸崎先生に告げられた。
「天文部は合宿で撮った写真の展示だけで良いかい? そうすれば文化祭でもあまり目立たないし、準備は殆どしなくて良いから、君達は役員としての仕事に集中出来るだろう」
「やったぁ、ポスター貼り面倒だったのよねー」
「山口先輩、なんか気にする点間違えてやしませんか」
「先に言っとくけどぉ、あたしミスコン出るから天宮君か酒谷君司会お願いねー♪」
 酒谷はうんざりとした表情になり、俺を見た。俺も大体酒谷と同じ気持ちだ。
「合宿の時も先輩、遊ぶ主張ばかりしてたよね……」
 俺達の視線はしぜん、小野寺先輩の方に向く。二人がいとこ同士なのは既に知っているけれど、あの小野寺先輩のことだから、山口先輩にはちゃんと何かあるんだと思う、一応は。

「――では、今日は解散だ。次の集合は明後日午前十時。わかったな」
 小野寺先輩の号令で、生徒会のメンバーは皆席を立った。
「天宮、行こう」
「俺、幸崎先生と話があるから。酒谷は先に帰っていて」
 相手の負担にならない引き際を知っている酒谷は、俺がそう言うとそのまま小野寺先輩達について生徒会室を出て行った。
「先生。天文部展示の件と、その後、俺の話を聞いて頂けますか?」
 先生は穏やかに微笑み、頷いた。

 

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 漸く00話に追いつきました。11話からは「polestars」と同じ時間軸に沿って話が動いていきます。