「ああああああのっ、天宮君っ! お話したいことがあるんですがっ!」
――俺の進路を塞ぐかのように突然現れた彼女の、真っ赤な顔は俺のほうを向いていたけど、視線は色々な所を泳いでいた。
俺は時計を確認する。生徒会室に行かなきゃならない時間までは、まだ間があった。用件に見当はついているし、話を聞くだけ聞いてあげても構わないだろう。
「いいよ。それは、ここで?」
「出来ればっ! 人に見られないところが」
「じゃあ外、出ようか」
第二校舎の裏に来ても、未だ名前も聞いていない彼女はがちがちに緊張したままだった。
「私、よ、四組の奈良美佳って言います。ああ天宮君が好きです付き合ってください!」
「――ごめん。俺、君の気持ちには応えられない」
間髪をいれずに断ると、奈良さんはやっと大きく息を吐いた。
「い、良いんです、最初から期待、あまりしてなかったし、告白を聞いてもらえただけでも、う、嬉しいから」
「とにかく、まずは落ち着こう?」
俺は見るに見かねて彼女にそう言った。選挙以降、こうやって女子生徒から告白される事が増えたけれど、奈良さんほどのパニック状態は初めて見た。
奈良さんもようやく自分の状態を自覚したのか、時間が経つにつれ落ち着きを取り戻してきた。
「ごめんなさい、私、凄く取り乱してた」
このとき初めて俺と奈良さんの視線が合った。混乱さえしていなければ、彼女は可愛いと俺の友達の大半が言うだろう。
「本当は手紙を書いたけど、私天宮君って一組だと思ってて、昼休みに一組の天宮君が来るまで全然気付かなくて」
――今、彼女はなんて言った?
「まさか、北斗を俺と間違えた……?」
俺の感情に、一瞬で火が点いた。
「何も知らないくせに、北斗に何て失礼なことしたんだ! あいつが一番嫌うのは俺と間違えられる事なんだ!」
それも、よりによって告白についてだとは。
「あ、ご……ごめんなさ……」
「俺は良いから、北斗には絶対謝って」
俺はそう言い捨てると、奈良さんを置いてその場を立ち去った。
「はぁ……」
「荒れてるな、天宮」
小野寺先輩は俺の方を見ず、資料に目を通しながら言った。
今、生徒会室にいるのは俺と先輩だけだ。酒谷は幸崎先生と一緒に職員室まで資料を取りに行っている最中で、山口先輩は今日は未だ顔を出してすらいない――理由は考えるだけ無駄な気がする。ただ、あの人に問題がある時は小野寺先輩が独り言のように文句を言っているから、現状は小野寺先輩の想定の範囲内だろう。
「先程うっかり仮面を外してしまいまして」
「珍しいミスだな」
小野寺先輩はそれ以上踏み込んでこない。だから、この人の前では溜息が吐ける。
さっきの俺はどうかしていた。俺の目の前で北斗についてあること無いことを言われるのは中学の時から慣れていて、普段ならちゃんと自分を押さえられるはずだった。
なのに出来なかったのは、奈良さんがあの小泉さんに似ていたからだ――特に、目元のあたりなんか。
あの子に俺と間違えて呼び出されて、北斗は昔のことを思い出したかもしれない。俺を責めたときのあいつの顔が脳裏に浮かんだ。
「会長ー、ただいま戻りましたー」
酒谷が生徒会室に戻ってきた。後から幸崎先生も入ってくる。
「酒谷、続けてその資料から情報の抜き出しを。天宮はそれを基に今年の広告依頼先リストを作成」
「はい」
小野寺先輩の指示を受け、俺は生徒会室のパソコンの電源を立ち上げた。
「何で今まで電子データ化しなかったんだろう」
「今年やっておけば来年は楽が出来るよ」
ぼやいた酒谷に向けて、被りなおした仮面で俺が微笑むと、彼の顔が少し紅くなる。誰に対しても歯に衣を着せない物言いをする酒谷との関係が最初は心配だったけれど、彼には「造られた俺」に対して好意があるらしくて、今のところお互い上手くやっている。
「三人とも、何か買ってこようか?」
「あ……先生、有り難うございます」
「僕はあまり役に立てていないからね、こういう事は、させて欲しい」
「そんな、役に立ってないってこと無いですよ。僕ら生徒じゃどうしたって出来ない事ってあるし。ねぇ、会長?」
酒谷の問いかけに小野寺先輩は無言で頷いた。この人にとっては「教師」の権限を有効活用したいだけで、顧問は誰でも良かったんだろうな。けれど、そのおかげで俺は幸崎先生と長くいられるし、色々と助かっている。
先生は俺達それぞれから希望の飲み物を聞くと、購買にそれらを買いに出かけた。
結局この日は、文化祭前最後の天体観測会もやったので、帰宅は深夜になった。母さんはもう休んでいて、テーブルの上にあったメモに従ってシチューを温めなおした――ちなみに、あらゆる授業の中で俺が一番苦手なのが調理実習だ。
水分が若干飛びすぎたシチューを食べていると、風呂から上がったばかりらしい北斗がやって来た。
「ただいま、北斗」
「……おう」
北斗は冷蔵庫から出した野菜ジュースをコップに注ぐと、俺の向かいに座って黙ってそれを飲み始めた。
風呂上がりの濡れた髪だとか、触ったら指が吸い付いてしまいそうな頬だとかを見せつけられながらの沈黙は、個人的にちょっと辛い。
「思ったけど、北斗っていつも喋らないよねこういう時」
「別に、話すようなこと無ぇし」
気分を誤魔化すために言った俺の言葉を、北斗はあっさり切り捨てた。
「でも、男二人が向かい合わせで黙って飲食してるのって不気味じゃない?」
「誰が見てる訳でもねぇんだから、いいだろ」
「見てるじゃないか、お互い」
「じゃあお前から話題振ればいいじゃん」
俺は一瞬、驚いた。俺の話に興味が無い北斗から、そんなことを言って貰えるとは。話題、北斗に話せる話題と言えば――。
躊躇しないではいられなかったけれど、どのみち報告する必要があったので、俺は奈良さんから告白されたこと、それを断った事を北斗に言った。
「彼女、間違ってお前に手紙出した、って言ってたから」
「それって今日の昼休みの話だぜ。行動早いな、彼女」
北斗の反応は、昼間あれこれ考えていたよりずっとあっさりしていて、俺は内心拍子抜けした。
「わざわざ南斗にばらす必要ねぇのになぁ」
「気持ちが落ち着いたら、お詫びが言いたい、って」
「ああ、そういう事」
事実はかなり違うけれど、奈良さんが北斗に本当のことを言う可能性は低いだろう。
「ま、確かに凄ぇ勢いで逃げてったけどな。アレは驚いた」
ジュースを飲み終わった北斗は、先に席を立って二階に上がっていった。
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