第一回文化祭実行委員会開催日の、朝のことだった。
「母さん。これから文化祭の準備で忙しくなるから、毎日遅くなるかも」
各クラス、各部活が動き出すこの日から、文化祭準備は格段に忙しくなる。こっそり天体観測をやらなくても、帰宅平均時間は大幅に遅くなりそうだ。
「あらぁ、ひょっとして生徒会に入ってから最初の大仕事? ますます大変になるのね。北斗、あなたもちょっと手伝ってあげたら?」
「俺、文化祭実行委員じゃねぇし。うちのクラスは菱井だから」
北斗が「菱井」という人名を口にした。
あいつが特定の人間を何度も話題に挙げる事なんて今まで無かったから、自然と俺も憶えてしまっている名前だ。
「最近、その菱井って名前北斗の話によく出てくるね」
「そりゃ一応親友だし、俺の」
親友?
思わず俺の顔が歪む。一体いつの間に北斗は俺の知らない「特別な誰か」を作っていたんだろう。周囲の人間に対して興味を持っていない筈の北斗が、何で――。
「平凡コンビって事で仲良くやってるよ。あいつって結構楽しいし」
親友だと表現するだけあって、北斗はその菱井という奴に対してかなり好感を持っているようだ。目尻の辺りの表情が柔らかくなっている。
「じゃあ、委員会はうまくやっていけそうだね」
俺は敢えて笑顔でそう言うしか無かった。
「ごちそうさま」
心の中で発生した、かつて無い苛立ちを隠すために、俺は早々に朝食を終えて席を立った。
登校したあとも、俺は内心ではずっと苛々し通しだった。けれどそれを表に出すわけにはいかないから、いつもの三割増しは笑顔でいたと思う。
昼食は、地学準備室で幸崎先生と食べた。
「――頭では解ってるんです、俺が北斗の行動を監視するなんて無理だ、って事は。でも、北斗が知らない誰かに笑いかけてる、って思うと凄く腹が立つ」
俺が今までで一番ささくれだった気持ちで話しているのに、先生はいつものように黙って聞いてくれている。
「俺には滅多に見せてくれなくなったのに。あいつが何か面白いことを見つけた時、凄く無邪気な顔で笑うんです。そう言う時の北斗が、昔から好きだった。本当は誰にも見せたくない」
「好きな子の笑顔を独り占めしたい、と言うのは自然なことだけど、友達が相手なんだから、君は鷹揚に構えていれば良いんじゃないかな」
「そんなの、本当に『友達』かどうかなんて判らないじゃないですか」
俺自身という例外が存在する以上、不安はどうしても拭えない。
「北斗に問い質すことも出来ないんですけどね。多分、今の俺はその菱井って奴の話をすると感情的になりすぎると思う」
最近、俺の仮面の紐が緩んでいる気がする。幸崎先生という拠り所が出来たことと無関係じゃないと思うけど……改めて、気を引き締めないといけないな。
先生はむっつりと黙り込んだ俺を見て気を遣ってくれたのか、話題を変えようかと明るく言った。
「一度訊いてみたかったんだけど、南斗君達の生まれ星座って何だったっけ?」
俺が先生に秘密を打ち明けるようになって以来、会話上の混乱を避けるために二人きりの時だけは俺と北斗を名前で呼んで貰っている。
「誕生日が六月十三日ですから、双子座です。出来過ぎた偶然でしょう?」
「そうなんだ? その割には君は、生まれ星座にはこだわらないんだね」
「俺、双子座あまり好きじゃないですから」
人間と神、それぞれ違う父親を持つ双子のカストルとポルックス。そのためカストルの死によって二人は一度引き裂かれてしまう。だがポルックスが自らの不死を兄に分け与えることで、二人は再び一緒にいられるようになった。
たとえ俺がポルックスの立場でも絶対に同じ事をするだろう。けれどそれは弟の気持ちであって、兄がどう思っているかは別問題だ。
カストルが蘇生を望まず、一人で死の国に行くことを選ぶ可能性だって無いとは言い切れないのだ。
双子であっても互いに決定的に違う存在。
思わず自分たちの姿を重ね、神話ではあり得ない物語を連想してしまう。だから俺は双子座が好きではなかった。
文化祭実行委員会が始まった直後に、俺が出欠の確認を取ることになっていた。北斗のクラスは一年一組だから、最初に呼ぶのが例の菱井という事になる。
「――では出欠の確認を取ります。クラスを呼ばれたら手を挙げてください。一年一組」
「はーい」
顔を確認しようと思って声の方を向いたら、目が合った。
北斗が平凡コンビと表現したように、確かにぱっと見では目立った特徴を感じない、校内の何処にでも居そうな男だった。
返事をした声のやや軽薄な響きが耳についたけれど、最初の一人で変に仕事の手を止めるわけにはいかない。
「一年二組……一年三組――」
この日の委員会の主な活動内容は、各組・各部から出して貰う出し物関連の書類配布と連絡事項の伝達、そして委員の役割分担決めだった。
俺は元々イベント関係担当、菱井はパンフレット作成チームだ。係が離れたことに、安心したのと何処か残念に思っているのと、相反する微妙な気持ちが俺の中にある。
委員会が解散したあと、俺は思いきって菱井に話しかけてみた。
「――君が菱井君?」
「そだけど。あ、ホントに北斗と同じ顔が笑ってる」
……「北斗」?
あいつを名前で呼び捨てられるのは、俺と両親と、後は小学校時代の友達だけだったはずだ。
「すげー、なんか新鮮。北斗はそういう笑い方しねーからなぁ」
まるで自分は北斗のことを何でも知ってる、みたいな菱井の言い方が非常にむかついた。
「北斗から君のこと聞いたよ。仲良いんだってね?」
「あー、多分俺が校内じゃ一番じゃねーかな」
「……ふぅん」
「俺もあんたのこと、北斗から聞いてるよ」
俺は内心どきりとした。北斗はこいつに、いや全ての他人に俺について何て言ってるんだろう? 今まで気にしたことがなかった気がする。
「ひっしいくーん、ちょっとお仕事についてお話あるから、来て?」
もっと話を聞き出そうと思っていたところに山口先輩が乱入してきて、顔を引きつらせた菱井を引き摺って行ってしまった。
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