INTEGRAL INFINITY : doublestars

 天気予報によると、今日はほぼ一日快晴が続くらしい。絶好の天体観測日和だ。
 今夜は星が沢山見れるだろう。朝になったばかりだと言うのに、俺はもう夜が来るのを楽しみにしている。

 俺が朝食を食べている最中に北斗が起きてきた。母さんがその様子を見てトースターにパンをセットする。
「……はよ」
「おはよう」
 待ちきれないのか、北斗は先にサラダを食べ始める。
「お前さぁ、何で生徒会選挙出ようって思ったん?」
 突然、北斗はそんな事を訊いて来た。
「え? 実は、出てくれって頼まれたからなんだけどね。交換条件みたいな感じだけど」
 つい小野寺先輩との「取引」の事を話してしまいそうになったが、適当にぼかした。何故急にそんな事を訊いたのか北斗に訊ねると、知らなかったことを今思い出した、と返って来た。
 北斗は、俺に興味を持ち始めているのだろうか。それを確かめようとした時、父さんが欠伸を押さえながらダイニングに入ってきた。ほぼ同じタイミングで、北斗の前に焼けたばかりのトーストが出される。
「北斗、ハチミツ」
 俺はハチミツのチューブの蓋を外し、北斗に手渡した。北斗はチューブの先端を不思議そうに眺めて、言った。
「お前ってトーストにはバターしか塗らない派だったよな?」
「そうだけど」
 北斗が好きだと自覚した翌朝以来、俺はハチミツが食べられない。北斗は、そんな俺からいつもチューブを受け取っている事に疑問を抱いたようだ。
 北斗が音のない声で何か呟いた。目尻が、俺にだけ判る範囲で緩んでいる。
 好きな子には出来る限り親切にしたい、というごく当たり前の原理から来た行動を喜んで貰える――それは凄く、幸せなことだ。

 放課後、俺は幸崎先生と地学準備室で、今夜の部活動の準備をしていた。
 今日は参加する予定の酒谷は担任に雑用を頼まれたらしく、少し遅れるという内容のメールが携帯に入っていた。あいつは日頃の言動は辛辣だけど、内実はとても人が良くて頼られる事に弱い。最近では放課後になったら一旦どこかに逃げるつもりだ、なんて言っているけど。
 試験期間中仕舞い込まれていた機材を出す合間に、先生に今朝あった事を話した。北斗と一緒に登校できたのは文化祭以来だ。
「今夜も快晴だし、良いことって続くんですね」
 先生は、何処に置いたか忘れてしまった星座早見盤を探すのに夢中のようで、いつもより相槌がワンテンポ遅い。
「あった、やっと見つかった」
「何処にあったんですか? 先生」
「何故か標本棚の引き戸の奥に入っていたよ」
 全然記憶に無いなぁ、と幸崎先生は苦笑した。

 問題が解決したところで、俺は話題を部活のことに切り替えた。
「先生。冬は合宿どうしますか?」
「うーん、クリスマスと大晦日の間ぐらいに一泊がせいぜいかな」
「それじゃあ、あまり時間無いですね」
「冬だからね。何日も外で天体観測をさせて風邪を引かせるわけにはいかないよ」
 先生はやっぱり生徒のことが第一だな、と俺が思った、その時だった。
 準備室のドアが開く、幽かな音がしたのは。

「なん……と……?」

 そこに北斗が立っていた。呆然と目を見開き俺達を見ている。
 力の抜けた北斗の手から、一枚の紙が滑り落ちた。
 動悸が一秒ごとに激しくなる。身動きしない北斗の代わりに俺がその紙を拾った。

『入部届
 部名 天文部
 氏名 天宮北斗』

「まさか……」
 心臓の立てる音が脳裏を塗り潰す。
「北斗が入部したいの、って、天文部だったのか?」
「そうだよ……」

 俺は北斗に飛びかかった。鉱物標本棚のガラスが衝撃で震え、鳴る。

 許さない。

「――絶対に許さない!!」

 だって、この部は、天文部は。

「俺の……俺が作った」

 北斗を想うための、俺だけの世界なんだ。

「北斗は来るな」

 来たら守ろうとした全てが壊れてしまう――だからお前は、北斗だけは。

「お前だけは星のことに入ってくるなぁっ……!!」

 俺の心を、想いを暴かないでくれ!

 刹那、頬に鈍い痛みが走ったかと思うと、俺は背骨から何かに勢いよくぶつかった。咄嗟のバランスが取れずに床にくずおれる。
「南斗君っ!!」
 幸崎先生の叫びと、それに続く遠ざかる足音。最初は何が起きたのか解らなくて指一本動かすことが出来なかったけれど、頬の痛みが最後に見た北斗の表情を甦らせた。

 裏切られた、見捨てられたみたいな眼差しをしていた。両目には涙が滲んでいた。

 北斗はあんなに部活を始めるのを楽しみにしていたのに、俺が身勝手な衝動であいつを傷つけたのだ。
「ぁ……あぁ……北斗、北斗……」
 急激に震えだした身体を自分で抱きしめ、俺は熱に浮かされたかのように北斗の名を呼び続けた。
「南斗君、落ち着くんだ。すぐに保健室に行こう」
 幸崎先生は俺を宥めようと肩を抱いてくれたけれど、俺は声も震えも止めることが出来なかった。
「北斗……ごめん北斗、北斗……北斗っ!」
 先生の抱擁から逃れるように身体を捩る。
「俺行かないと、北斗を探さないと、謝らないと――」
「君のその状態では無理だよ!」
 冷静になれ、と言う幸崎先生本人の顔色も青ざめているのに気付き、俺は暴れるのを止めた。そしてようやく理解する。
 先生は、北斗が天文部に入ろうとしているのをずっと前から知っていたのだ、と言う事を。

「ちょっ、天宮!?」
 やっと雑用から解放されてこちらに来た酒谷が、俺の様子を見て驚きの声を上げる。
「すまないね、酒谷君。僕はこれから天宮君を保健室に連れて行く。多分、今日の部活は出来ない」
「だったら僕もついて行きますよ!」
 酒谷の申し出に、先生は首を横に振った。
「天宮君は少し落ち着く必要があるから、酒谷君はここに居るか、帰りなさい。彼のことは僕が教師として責任を持つから」
 そう言うと、先生は俺を立たせて地学準備室から連れ出した。

 怪我の手当てをしてもらったあと、俺は幸崎先生の制止を振り切って保健室から飛び出した。昇降口には酒谷が居て、何も言わずに俺の通学鞄を渡すと、そのまま全速力で駆け出していく俺を見送った。
 家に帰るなり二階に駆け上がり、北斗の部屋を見る。しかし北斗はそこには居なかった。
 自分の部屋に入ると、本棚のスライドがずらされており、ずっと隠していた天文関連書籍の背表紙が露わになっていた。

 

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 この連載は前作と比べて一話が長いので、今回は幸せ状態から突然急転直下と言う展開になってしまいました。ここから先は、ほぼ最後まで誤解と擦れ違いによる南斗の消耗が中心になっていきます。