INTEGRAL INFINITY : doublestars

 北斗の鞄は部屋に投げ出されたままだった。
 ともすれば力の抜けていく足を懸命に動かして、俺は階下に戻った。
「母さん……」
「あら、今のは南斗だったの? ――ちょっと、一体どうしたのその顔!?」
 北斗に殴られたところが少し腫れていたため、俺は保健室を出てからずっと頬を冷やしながら行動していた。
「何でもないよ。それより北斗は?」
 それで母さんが納得するはずは無かったが、俺には説明より北斗の行方のほうが遙かに重大だ。
「南斗が帰ってくる前も誰か階段を駆け上がった音を聴いたけど、あなたじゃないならそれが北斗よ。部屋には居なかったの?」
 俺は母さんの問いに内心舌打ちする。居たら最初から訊くわけがない。母さんが知らない間に北斗は家を出て行ったのは確からしく、改めて玄関を調べるとあいつの靴は無かった。
 早く北斗を捕まえないと――そうだ、電話だ。
 携帯を出すときアンテナがポケットに引っかかるのに腹が立った。焦りがそうさせるのか、履歴の呼び出しが上手くいかず何度も最初からやり直した。
 やっと掛けることが出来ても、会話以前に切られてしまう。繰り返すうち、ついに着信拒否をされてしまった。諦めずに家の電話からも掛けてみたが、北斗は携帯の電源を切ってしまったようだった。仕方なく俺は、最後の望みを賭けて「さっきはごめん」とメールを送った。
 もしかしたら、北斗は今一人ではないのかもしれない。だとすれば、一緒にいる可能性が一番高いのは菱井だ。
 あいつの携帯番号、そんな知りたくも無い情報なんて持っていない。帰宅部の菱井の連絡先を知っていそうな人間も、結局北斗以外思いつかなかった。

 八方塞かと思いつめて、やっと俺はあるものの存在を思い出し、電話台の引き出しを漁った。
「何を探してるの?」
「連絡網」
「なら、開き戸の中に立ててあるわよ」
 母さんの助言で目的のものはすぐに見つかった。一組のクラス連絡網を持ち出し、自分の部屋で菱井の名前を探す。
 祈るような思いで、俺は菱井家に電話を掛けた。
『はい、菱井でございます』
 電話に出た声は女の子のものだった。
「もしもし。僕は惣稜高校一年の天宮南斗と申しますが、そちらのお宅にうちの兄がお邪魔していないでしょうか?」
『いえ、来ていませんけど?』
「では、良介君はご在宅ですか?」
『兄は今日、帰ってきてからずっと寝てます。起こして掛け直させますか?』
「いえ、結構です」
 俺は菱井の妹さんに礼を言い、電話を切った。
 菱井ではない、ということは、別の奴を頼っているんだろうか。委員会にも何も参加していない北斗と接点があるのは、一組の生徒ぐらいのはずだ。まさか女子ということは無いだろうから、連絡網を頼りに男子全員に当たってみるしかない。
 俺は再び携帯のプッシュボタンを操作した。

 部屋の中が真っ暗になっているのを意識したのは、最後の一人の家に電話を掛け終わった後だった。
 誰に訊いても、菱井のところにいない以上、北斗が行きそうなところの心当たりは無いと言われた。
 今何処にいるのか、とメールを送る。返信が来る見込みが無くても、そうせずにはいられなかった。
 もう夜だ。ひょっとしたら北斗は帰ってきているかもしれない――何処かで儚いと解っている望みを抱きながらリビングに戻ると、母さんが俺を待ちかまえていた。
「南斗。何があったの? 北斗は何処に行っているの?」
 俺の異常な様子では母さんに全てを隠し通すのは無理だったのだ。しかし、俺は力なく首を横に振ることしか出来なかった。
「俺、探してくる……」
 俺に残された手段は、もうそれしか無かった。今の北斗の行動範囲がどの辺りなのか俺は知らない。
 それでも俺は家を出て暗闇の中、駅前へと自転車を走らせた。

 疾走中、浮かぶのは最後に見た北斗の今にも泣き出しそうな顔だけだった。北斗はあの表情のまま、何処かで一人立ち竦んでいるかもしれない。
 俺が馬鹿だったせいだ。あの時瞬間的に逆上などせず、天文部の存在を隠していたことを謝れば良かったのだ――いや、星のことを隠す事自体、最初から間違っていたのだろう。

 駅前に到着した俺は、高校生が入りそうな店でまだ開店中のところへ片っ端から入って回った。知り合いに声を掛けられて無視し、後で北斗のことを訊けば良かったと後悔する。
 何時間街中を彷徨ったのか判らない。俺と同じぐらいの背格好をした茶髪の後ろ姿を見るたび期待を抱き、数秒後には失望に変わる。それを何度も、何度も繰り返した。
 その最中、突然後ろから腕を掴まれた。
「なっ……」
「南斗君」
 俺を捕まえたのは幸崎先生だった。
「先生、どうして」
「恐らく、君と同じ目的で」
 では先生も、北斗を探しにここに来ているのだろうか。眼差しだけの俺の疑問に対し、先生は小さく頷いて肯定した。
「君のご自宅に電話して北斗君は居ないと知ったら、居ても立っても居られなかった」
 そうか、母さんが北斗のことを訊いてきたのは、幸崎先生からの電話にも一因があったんだ。
「北斗は……」
 先生は未だ見つかっていない、と言い、それから俺に謝罪した。
「今日の事は僕のせいだ。すまない、南斗君」
「先生は知っていたんですよね? 北斗の事」
「文化祭の時、天文部の展示を見に彼が来たんだ。君の撮った写真や、あのプラネタリウムを見て凄く興味を持ったようだった」
 俺は、文化祭初日の夜に機嫌の良かった北斗を思い出した。今になって初めて、その理由が天文部に在ったことを知った。
「南斗君との約束だから、北斗君に君の事は一切言わなかった。彼は君のことを知らなかったから――自分が天文部に来たことを誰にも言わないで欲しい、と頼まれたんだ。いつか今日のような日が来る、と言うことはその時から解っていたのに、僕は何も出来なくて……だから」
「幸崎先生、先生は凄く生徒思いだから、北斗の頼みを断るなんて出来なかったんでしょう? 悪いのは先生じゃないです、全部俺だから――」
 それより北斗を探しましょう、と俺は先生の手を取った。

 

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 南斗名物絨毯爆撃。そのうち「知りたくも無い」菱井の携帯番号が携帯のメモリに登録されて頻繁にそこに掛けることになるのですが。