「少し聞こえましたが、鎌仲先生は北斗がカンニングしたのではないか、と考えてるんですね? 証拠はあるんですか?」
「天宮の今回の点数が……」
俺が追求を始めると、鎌仲先生はいとも簡単に動揺した。やはり、北斗に対する疑いには何の根拠も無いのだろう。
「それは具体的な証拠になりません。教師が憶測だけで生徒を疑ったりしていいんですか?」
「だ、だが、現にこっちの天宮の成績が不自然に上がってるじゃないか。髪を染めているような素行の悪い生徒に出来るはずがない」
酷い侮辱に北斗の肩が震えたのが判って、俺は北斗を庇うように前に立った。鎌仲先生の目を、力を込めて見つめる。
「失礼ですが、髪を染めてはいけないという校則はこの学校には無いですし、北斗が校則違反で処罰されたこともありません」
「目撃証言も物的証拠も存在しない生徒にカンニング疑惑かけるなんて、職員会議で話題にでもなったんですか? 僕たちには鎌仲先生が個人的な印象だけで彼に難癖をつけているようにしか見えませんね。それって凄く問題になると思いますけど」
俺の言葉を引き継ぐように酒谷が援護してくれる。先生の動揺が大きくなった。
だが、先生の行動を追求する方向性では決着に時間がかかる。かかればかかるほど、北斗にとって面倒な事態になる危険性が高くなるだろう。
「第一、北斗は今回の試験に向けて真面目に勉強していましたよ」
「何でそんなことが判るんだ」
――だから、北斗のプライドが傷つくと判っている言葉を、俺は言おうとしている。
「俺が、自宅で勉強見てましたから。それでは不満ですか?」
「が、学年首席のお前が指導したというなら、本当なんだろうな」
俺が作り上げた仮面のイメージは、狙い通りの効果を発揮した。後は話を早く切り上げるよう、相手を促すだけだ。
「これ以上『職員室で』話をする必要は無いと思いますが」
「もう行け!」
先生が苛立たしげに叫んだのを合図に、俺達はその場を後にした。
職員室を出るなり北斗は、俺の方を振り返って険しい視線を向けてきた。
「何で、よりによってあんな嘘吐いたんだよ。最悪」
「なっ! 天宮は先生に連れてかれたお前を心配して、わざわざ職員室まで追いかけてったんだぞ。それを――」
「酒谷!!」
酒谷の言葉を俺は遮った。彼は俺のことを思って怒ってくれたに違いないが、北斗の反応は俺の予想範囲内に収まっている。俺は北斗に謝らなければならない。
「……ごめん。鎌仲先生を黙らせるためとは言え、今の北斗が一番言われたくない事を言った」
「俺、その場で再テスト受けてでも実力証明するつもりだったけど。なのにあんなに簡単に話がつくなんて」
北斗は、優等生の一言は得だと自嘲気味に笑った。
「とっくの昔に置き去りにされた俺には、無理な話」
北斗はそのまま歩き出す。酒谷が隣で抗議めいた声を上げた。
「北斗」
俺が名前で呼びかけると、北斗は立ち止まった。視線は前に向けたままだ。
この場には酒谷がいるから、北斗は俺の話を聞いてくれる。多少狡い考えだけれど、チャンスは今しかないと思った。
「あの日からずっと訊きたかった――俺達、もう元に戻れないのか?」
「覆水盆に返らず、って、漢文の試験範囲だったろ」
一度こぼれてしまった水が二度と元の盆に戻せないように、壊れてしまった関係も二度と戻せない――。
「おい、天宮、天宮?」
北斗が立ち去ってしまった事も、酒谷の呼びかけにも、俺は全く気付かなかった。
壊れてしまった、あの日からずっと、自分の気持ちを隠す事で守り続けてきたものが。俺の想いは、それを代償として得ようとしたものでさえ失い、行き場を無くしてしまったのだ。
終業式の日までの間、俺はまるで夢遊病者になったかのような感覚で日々を過ごした。大きすぎる喪失感だけがこの胸を支配し、目の前で起こっている出来事は映画館のスクリーンに映っているかのようにしか思えない。それでも俺の仮面は優秀に機能し、表面上はいつもと変わらぬ日常を送っていた。
終業式の朝、校門のところで酒谷と遇った俺は彼と連れだって昇降口に向かった。
「あれ……?」
一組の下駄箱のところに奈良さんがいた。彼女は一番奥の一番上の下駄箱を開け、中に何か入れていた。
「どうしたの、天宮」
「いや、何でもない」
本当はすぐにでも確認を取りたかったけれど、酒谷がいる手前それは無理だった。
酷い不安が、空っぽの心を蝕み始めていた。
その日の放課後、生徒会室で集まりがあった。生徒会ではなく、明日からの天文部合宿の最終打ち合わせだ。
今は、俺と小野寺先輩の二人しかいない。残りのメンバーを待ちながら、俺は果たして天体望遠鏡のアイピースを覗くことが出来るのだろうか、と思った。窓ガラスに寄りかかり、溜息をつく。
その時、窓の下に人影が見えた。あれは――北斗と、奈良さん!?
放課後の校舎裏、人目を忍んで男女がする会話なんて一つしか無い。やはり、朝に彼女が入れていたのは、北斗を呼び出す手紙だったのだ。
二人は暫く会話をした後、連れだって同じ方向へ歩いていった。ここからでは内容は聞こえなかったけれど、あの様子だと北斗は奈良さんからの告白をオーケーしたのだろう。
後夜祭で楽しそうに話していた、二人。俺のつまらない嫉妬から北斗は奈良さんを庇い、彼女をフォークダンスに誘った。
北斗の昔の彼女に似ている奈良さん。俺と北斗を間違えるというミスを犯したにも関わらず、彼女のことを北斗が気に入っていたのは、今考えると明白だ。俺が知らない間に、あの二人はお互いを見つめ合うようになってしまったのだ。
北斗は、奈良さんのものになってしまう。
不安はもっとどす黒い感情へと急速に変わっていき、心の空虚はあっと言う間に塗り潰された。
「天宮『部長』。始めるぞ」
「あ、はい。すいません先輩」
気がつけば、既に天文部のメンバーが生徒会室に揃っていた。俺は久しぶりに意識して笑顔を貼り付け、窓の側を離れた。
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