「幸崎先生、お願いがあるんですが」
俺は他に人がいない隙を狙い、幸崎先生にある頼み事をしに行った。
「手伝いでも何でもやります。だから、俺だけここに残れるよう、オーナーに頼んでもらえませんか?」
俺はよほど思いつめた顔をしていたのだろう、先生は理由を訊くよりも先に、「大丈夫かい?」と俺の肩を抱いた。
「俺……まだ帰れません、その自信も無いんです」
「それは、北斗君の顔を見るのが怖いからかい?」
「違います」
俺はきっぱりと否定した。北斗からどんな目で見られようと、俺の名前を呼びながら俺を見ないあの姿より怖いものは無い。
それに北斗の顔を見たくないわけがない。今この瞬間だって、心の全てが望んでいる――だから、駄目なんだ。
俺が先生の目を真剣に見つめ続けていると、遂に先生は溜息をついた。
「兄さんに話はしてみるよ」
「有り難うございます」
「駄目だったら僕のアパートに来るかい?」
「えっ、良いんですか?」
「そうせずにはいられないんだろう、南斗君は。僕の部屋じゃペンションよりずっと狭いけれど」
そっちに決まったときは我慢してくれ、と先生は言った。
「――なに、天宮は帰らないの?」
「酒谷!」
会話の一部を聞かれたらしい事に俺は動揺し、つい声が大きくなる。
「だったら僕も残って良いですか? 先生」
酒谷は思いも寄らないことを言い出した。俺と先生は顔を見合わせる。
「どうせ年末年始は毎年家でゴロゴロしてるだけだし、だったらこっちにいたほうが楽しそうじゃないですか」
「兄と、君のご両親の許可が出たらね」
「じゃあ僕、親に電話してきます」
ここ携帯の電波悪いですよね、と言いながら酒谷はこの場から去った。
「あの、先生」
「酒谷君だけ断ったら、君の事情を話さなければならないだろう?」
「そうですね……」
「それに彼がいた方が、君の気も紛れると思うよ」
先生の言うとおり、一人でいると考えすぎてしまうかもしれない。酒谷と話す事で少しでも気が紛れるなら、その方がずっと良かった。
オーナーからの滞在許可は、バイト代わりにペンションの手伝いをする、と言う条件付きであっさりと下りた。幸崎先生が言うにはオーナーは酒谷が大のお気に入りらしい。一人ならともかく二人はどうかと危惧していたが、まさかそれが決め手になるとは全くの予想外だ。
電話を取るのは北斗かも知れない、と躊躇して、結局俺が自宅に連絡を入れたのは夕食後になってからだった。
『はい、天宮です』
「もしもし、母さん?」
『あら、南斗?』
「うん。着いた日に電話しなくてごめん」
『あなたの方は身体壊してない? 北斗は風邪を引いちゃってね。昨日からずっと寝てるの』
母さんからの報せに、目の前が暗くなる。
俺のせいだとすぐに判った。あの時俺がどんなに混乱していても、北斗が俺におびえていても、俺は北斗にちゃんと服を着せてベッドに入れるべきだった。
「あの、母さん。俺、冬休み中こっちに残りたいんだけど」
『えっ、それはどういう事!?』
「泊めて貰っているペンションを手伝う事になって」
『駄目よ、ご迷惑をかけるだけじゃない! とにかく帰ってらっしゃい』
「顧問の先生もペンションのオーナーも良いって言ってくれたよ。それに友達も一緒だし」
その時、背後から指で軽く肩を叩かれた。先生だ。電話を替わるよう指示され、受話器を手渡す。
「もしもし。天宮君のお母様ですか? 惣稜高校の教師で幸崎と申します……――」
先生は俺に代わり、誠意を持って母さんを説得してくれた。再び電話を替わった時、母さんはとても良い先生だ、と幸崎先生をべた褒めしていた。ひょっとして親子共々、人の趣味らしきものが似ているのかもしれない。
「どうだった?」
「母さんの許可は貰えたよ」
「その割にはあんま嬉しそうじゃないね。何かあった?」
「北斗が風邪引いた、って聞いたから、ちょっと心配で」
やはりさっきから、その事が頭を離れない。普段の北斗はむしろ丈夫な方で、俺の方が風邪を引いて学校を休んだ回数が多い。と言うより、北斗は中学で三ヵ年皆勤を達成していた。なのに――結果的に、また俺はあいつに酷いことをしてしまったのだ。
「天宮。僕が先に風呂行っていい?」
「いいよ」
俺の返事を聞くと、酒谷は既に纏めていたらしい着替えを持って風呂場へと向かった。出て行く際に何か言ったようだったけれど、良く聞き取れなかった。
「――ホント天宮って、馬鹿だよ」
翌日の朝、幸崎先生は小野寺先輩と山口先輩を送るため、そして今日が期限のレンタカーを返却するためにいったん帰った。俺と酒谷は早速手伝いに入ったのだが、オーナーも次の夏シーズンからバイトを入れようかと考えていたらしい。やる事は多く随分重宝がられた。戻ってきた先生も「臨時バイト」に加わった。
俺は毎晩、北斗の夢を見た。
大晦日、オーナー夫婦と酒谷が年越しの泊まり客達とテレビを見ながら歓談している隙を狙い、俺は幸崎先生を人がいないところに呼び出した――話を、聞いて貰うために。
「毎晩、いえ眠るたびに北斗が『助けて、助けて南斗』って泣き叫ぶんです」
その声に跳ね起きるのは、一晩で一度や二度では無い、と俺は先生に語った。
「いくら未遂だったからって、いえ、それだけじゃなくて、北斗への周囲の関心を奪い続けてきた事も含めて、俺がしたのは最低の行為です。どんなに後悔しても北斗には償いきれない」
「南斗君……」
「本心からそう思っています。なのに、北斗への欲望だけがどんどん大きくなっていくんです。今も、あいつの泣き声は耳から離れないのに」
だから俺は先生やオーナーに無理を言ったのだ、酒谷まで巻き込んで。酒谷は多分、俺がおかしいことに気付いている。だから自分も残ると言ってくれたのかもしれない。
「なまじっか知ってしまったせいでしょうね、些細なことで北斗の体温や触れた時の反応を思い出すんです。だから俺は一日でも長く、少しでも遠くあいつと離れなければならない。そうしないと、俺はいつか必ず北斗を壊してしまいます。あいつがどんなに泣いても無理矢理抱いてしまう。今の俺では、自分自身を止められないんです」
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