INTEGRAL INFINITY : doublestars

 放課後は三学期度の生徒総会の打ち合わせがあった。今朝菱井が北斗を引っ張ってきたという事は帰りも待ち伏せされるかもしれない。俺は靴を生徒会室に持ち込んで帰りは裏口の方から出た。下校のタイミングも、北斗がバイトに行って不在の時を見計らった。
 次に北斗と鉢合わせたのは夕食後、母さんにせがまれて合宿の話をしている時だった。
「あら、おかえりなさい北斗。ご飯いま用意するから、手を洗ってらっしゃい」
「へーい」
「じゃあ、俺もう自分の部屋に戻るよ」
 北斗が洗面所に行く間に立ち去ろうとした俺を、母さんが制止する。
「せっかくだから北斗にも話してあげたら?」
 俺は迷ったけれど、結局母さんに言われるままその場に残った。
 両親の前で北斗をあからさまに避けたりすれば、きっと二人を酷く心配させる。北斗が俺達を拒絶し始めたころの両親の憔悴ぶり、そして北斗と和解したと言った時の母さんの顔を思えば、両親をまた悲しませるわけにはいかなかった。
「南斗。ほら、お正月の話」
「さっきしたばかりじゃないか」
「北斗は聞いていないでしょう?」
「そっか」
 俺は、さっき母さんにしたばかりの話をもう一度語る。
 顔は北斗の方に向けるが、目だけは合わせないよう細心の注意を払った。北斗の視線が何処を向いているのかは判らなかったが、曖昧な相づちしか返さないところから、この状況を気まずく思っているのは明らかだった。

 以来、俺は両親の手前「あの夜」以前と同じに見せかけた態度で北斗と接した。一度は粉々に砕けた仮面は既に完璧なかたちを取り戻しており、また校内では俺達の不仲が確固たる事実として広まっていたため誰に不審がられる事も無かった。
 そんなある日、俺はクラスの女子から訊きたい事があるんだけど、と言われた。
「なに?」
「一組にいる方の天宮君って、今誰か付き合ってる人がいるの?」
 付き合っている人――そうだ、俺が引き金を引いてしまった直接のきっかけはそれだ。
 北斗はもう、彼女のものなのだ。
「確か、四組の奈良さんのはずだけど」
「そうなんだ。ありがと」
 質問してきた子は心なしか肩を落とし、いつも一緒にいるグループの環に戻っていった。

 彼女がそこで話題にしたからだろう、北斗に恋人がいる、という噂は即座に女子の間に広まったらしい。
 数日後、自分の部屋に入ろうとしたところを北斗に捕まった。
「待てよ南斗」
「……っ!」
 握られた手首が――触れ合った肌が熱い。俺が逃れようとすると北斗は更に力を込めた。
「お前、奈良さんの事誰かに話した?」
「え」
 何を言われるかと慄いていた俺は、意外な質問に驚き抵抗するのを止めた。
 身体の向きだけは変えずに。
「奈良さん――ああ、クラスの子に、北斗に今付き合ってる人がいるかどうか訊かれたから」
「やっぱりな」
 恐らく噂が北斗の耳に入り、自分達が黙っていたのに何故、と考え俺に辿り着いたのだろう。
 だが北斗の話の続きは、俺が予想だにしなかった内容だった。
「っつぅか俺、あの日告白断ったから。出かけてたのは、同じクラスの久保田って奴の家でクラスの男連中とパーティやる約束してたからだよ」

 断った……?
 北斗の話が本当なら、俺は。

「じゃあ、全部俺の思いこみだった、ってこと?」
「そうだよ。噂回って、奈良さん半泣きだったぜ。お前の代わりに一応、俺がフォローしといたけど」
「そう、か」
 全身から、力が抜けていく。重力に引かれるまま腕が落ち、北斗の手首が外れた。けれど俺達は二人ともそれ以上身動きする事が出来ない。
 確かにあの時、北斗は俺が言った事を肯定しなかった。いや違う、俺が口を挟ませなかった。
 昏い怒りと愉悦に流されるまま、俺は北斗に濡れ衣を着せて蹂躙しようとした。
 俺は自分が思っていた以上に、最低だったんだ。

「――やっぱ俺、耐えらんねぇよ、今の状況……」

 北斗の呟きが聞こえ、俺は我に返る。
「部屋、入っていい?」
「あぁ――ごめんな、引き留めちまって」
 俺はもう一歩前進し、後ろ手でノブを探ってドアを閉じた。鼓動が早い。胸が痛む。
 やはり北斗は、こんな俺と同居している事に耐えられないのだろう。俺を見るたび理不尽に踏みにじられ掛けた記憶があいつを苦しめる。
 俺は――こんな状況でもなお、北斗に触れた喜びを抑えられない。本音を言えば手首だけじゃ足りない。許されるならばもっと触れたい。北斗を意識しながら避けるのは、あいつから避けられるのと同じぐらい苦痛だった。
 それでもこの家において俺達は「兄弟」であり、互いから逃れる事など出来ないのだ。
 俺か北斗が家を出て行くかもしれない時まで、あと二年と少し。けれど、耐えるにはあまりにも長すぎる。どちらかが、いや俺がまた崩壊してもおかしくはない。

 高校を卒業するより前に、俺が家を出る手段はあるんじゃないのか……?

 そう考えて俺は、中三の頃さんざん周りから言われ続けた事に思い至った。

 翌朝、俺は起きて二階から降りてきた北斗をダイニングで待ちかまえていた。最近ではこの時間、俺はもう登校しているからだろう、北斗は俺を見て軽く目を見張った。
「……おはよ、南斗」
「おはよう」
 俺は、北斗の目をしっかりと見つめながら、言った。こちらの態度の変化に北斗が驚いているのを見て、俺は苦笑した。
 それから、以前のように北斗に蓋を開けたハチミツのチューブを手渡し、北斗が学校に行く支度を調えるまで玄関先であいつを待ち、一緒に登校しようと誘った。当然北斗は戸惑っていたけれど、幸い断られなかった。

 並んで歩くのはかなり久しぶりだと言うのに、俺達は無言だった。上手くきっかけが掴めないのは俺も北斗も同じだ。

 だが俺は北斗に言わなければならない。
 俺達を終わらせるプロセスを始めるために。

「あのさ、北斗。昨日考えたけど――やっぱり家にいる以上、俺達は兄弟で居続けるんだよね」
 北斗が俺を見た。俺はその目を見つめた。

 あと、ほんの少しの間だけだから。
 最後だけは、昔のような俺達でいさせて。

 

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 やっとこちらの方も最終ラウンド突入です。既に結末が決まっている物語とはいえ、南斗があまりに難物過ぎるためしょっちゅう手に負えなくなります。番外編とのギャップが激しすぎるのがその主な原因ですが、何故南斗がああまで北斗にデレて触れたがるのか、その行動原理はこの話の序盤からお察しください。