職員室でその話を俺が切り出した時、担任の顔色が面白いように青ざめた。
「天宮、お前本気なのか? 来年度は生徒会長になるつもりじゃなかったのか?」
ああやっぱり小野寺先輩が言ったとおり、書記のポジションは会長への踏み台なんだな、と、この役に就いて半年以上も経った今更になって、思った。
「はい。そのつもりでしたが、最近になって考えるようになって」
「まったく、突然そんな事言われてもはいそうですか、と言えないだろうが――あ! 幸崎先生、先生は天宮から話聞いてますか!?」
「いえ、何のことでしょう?」
「ちょうど良かった。俺、幸崎先生に報告したい事があって」
もう良いですよね、と良いながら笑顔を向けると、担任は渋々頷いた。
俺と幸崎先生が内緒話をする場所は、やはり地学準備室で。
だが、そういう目的でここに来たのは、北斗が天文部の入部届を出しに来た、あの放課後以来だった。パイプ椅子も標本棚もあの時のままで、季節だけが違う。
「北斗は、奈良さんの告白を断っていたそうです」
全部俺の思い違いだったのだ、と口にした時自然と笑みが溢れた。それは正の感情ではなくむしろ諦観に近いところから来ている事は、自分で解っていた。
「昨日、北斗に耐えられない、って言われました。俺と同じ家で暮らす事にでしょうね。でもそれ以上に、俺の方が耐えきれないんです――本心を無理矢理押さえつけながら北斗に接する事に」
「南斗君……」
「合宿から帰ってきて、一目北斗の顔を見た途端に、もう駄目だったんです。だったら、俺が家を出れば良いだけでしょう」
そして俺は、先生の目を見た。
「俺、樫ヶ谷学院高等部の編入試験を受けるつもりです」
「樫ヶ谷って、あの全寮制の進学校の?」
「ええ。全寮制の学校に通うなら自宅から出て行けるじゃないですか」
いったん入ってしまえば、あとは長期休暇にも実家に帰らず、そのまま遠い大学に入ってしまえばいい。流石に全く帰らないというのは無理だろうが、俺と北斗が離れていられる期間が今年の冬休みよりもずっと長いのは確実だ。
「君は、それで後悔しないのかい?」
「それでも、また北斗を俺のせいで泣かせるよりは――先生はこんな選択をした俺に失望しますか?」
「そんな事はあり得ないよ。ただ……」
そう言って幸崎先生は苦しげに眉をひそめた。
「俺、先生にとても感謝してます」
先生は俺の抱えきれなくなりかけていた想いを見付けてくれ、話を聞いてくれた。俺の代わりに俺を罰してもくれた。この人がいなかったら俺は「ここ」まで保たなかったかもしれない。
先生に俺の恋を語るのは、きっとこれが最後。
北斗とは違う次元で、先生は俺にとって特別な人だった。
「転校までのほんの少しの間、普通の兄弟として振る舞う事を許してもらおうと思ってます。最後に幸せな思い出が欲しいから」
その思い出があれば、俺は北斗のいない場所で毎日を生きていける。
樫ヶ谷は山奥にあるから、きっと星空も綺麗だろう。
昼休みや放課後など、時間があれば俺は職員室に呼び出された。用件は当然転校の事で、思い直してくれないか、と担任だけではなく学年主任からも頭を下げられた。
この件については一応相談というかたちを取っており、親や他の生徒達には黙っていてくれるように頼んであった。家族に切り出すのは周囲を固めてからと決めていたからだ。
ただ、俺が毎日のように教師に呼び出されているという噂だけは抑えられなかったようだ。何人かに理由を訊かれたが、全て曖昧な回答と仮面の笑顔でかわした。
もちろん、俺は生徒会のメンバーにも樫ヶ谷の事は黙っていた。小野寺先輩だけはこの事を知っているかも知れない、と思ったが、先輩は俺に何も言ってこなかった。結局、天文部設立と引き替えの条件を、俺は半分しか履行しなかった事になる。それは最後の心残りだった。
次第に教師陣は折れる姿勢を見せ始め、俺の手元には樫ヶ谷学院高等部編入試験の願書が届いた。願書は念のため学校ではなく近所の図書館で書き、本棚の天文の本の間に隠した。
北斗とは、俺の望み通り互いに何事も無かったかのような態度で接した。校内では相変わらずだけど、家では雑談を楽しむ事さえできた。北斗は若干ぎこちないものの、かえって表情が幼く見えて二人部屋だった頃のあいつを思い出させた。俺は北斗のそんな姿を全て脳裏に焼き付ける事に全神経を傾けた。
だが、つかの間の幸福感を味わうだけでは先に進まない。編入試験を受けるためにはどうしても親の了解が必要だ。
北斗がバイトに行っている夜、俺はその時間帯に珍しく揃っていた両親をダイニングに呼び出した。
「父さん、母さん――俺、樫ヶ谷学院に編入したい」
俺の発言に、両親は担任と同じように顔色を変え、絶句した。
「急にまた、何で――南斗、高校受験の時あんなに嫌がっていたじゃない」
「惣稜に一年近く通って、やっぱりもっと上、目指したくなったんだ」
「しかし……今更編入なんて可能なのか?」
「それについては調べた。入試と同時に編入試験を受け付けてる、って。難易度は相当高いらしいけど、俺なら多分、大丈夫だと思う。学校の先生方にも相談して、一応納得はしてもらった」
先に親に言うべきではないか、と言う父さんに対し、俺は詳細が判るまで心配させたくなかった等と適当な言い訳をした。
「北斗は知ってるの?」
「編入試験に合格するまでは言わないつもり――」
「何だよ、それっ!!」
突然入ってきた北斗が、俺の肩を揺さぶる。
「北斗!? ちょっと落ち着きなさい」
「んなもん無理に決まってんだろ!」
「――北斗」
どうしてお前は激昂しているんだろう。
判らないけれど、俺は北斗の腕を掴んだ。声は自分でも驚くほど落ち着いていた。
「ここには、父さんたちがいる」
知られた以上、俺は話さなければならない。
北斗にだけは、本当の理由を。
「父さんと母さんには言いたいこと全部言ったから。俺、上で北斗と話してきていい?」
俺は立ち上がると、北斗を連れてあいつの部屋へと向かった。
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