俺が北斗の部屋のドアを閉めた途端、北斗は俺に食ってかかった。
「樫ヶ谷に編入――って、お前この家出るつもりなのか!?」
「入寮は三月になるだろうから、もうちょっとだけ我慢して」
「――我慢、って何?」
「だって、誤解であんなことをした奴とずっと同じ家で暮らさなきゃならないのが、北斗には耐えられないんだろう?」
「ち、違」
何故か北斗は動揺する。北斗の考えが、読めない。
「だって兄弟なんだから、そこは仕方ねぇだろ――」
衝動に駆られた俺は、北斗の顔を両側から掴んで引き寄せた。
「俺は! 俺はもう……無理なんだ」
どんなに抑えても、声の震えを止める事が出来ない。
兄弟でいたい。兄弟で終わりたくない。
どちらも俺の本心であり、つかの間の幸福は裏で確実に俺を苛んでいた。指先から伝わる北斗の体温が焼け付くように感じる。
「本当は、耐えられないのは俺の方だよ」
あとほんの少しの距離を縮められない事が歯痒くて、苦しくて。
「もうこれ以上、北斗とは一緒にいられない」
北斗は何も言わなかった。俺が北斗への想いを捨てられない事、それが意味する事が解ったからだろう。
俺は無意識に力を込めていた手を北斗から外した。
独りになってから、声を出さずに泣いた。
翌朝、俺は母さんに生徒会の用事があるからと言って北斗が起きる前に登校した。
北斗に編入試験の事がばれた以上、もう後には引けない。願書も明日には出す予定だ。
何も知らず接してくるクラスメイト達には悪いと思ったが、皆には最後まで黙っておく事にした。北斗から情報が漏れる可能性は多分低い。
昼休み、酒谷が俺を呼びにきた。
「天宮。今日は一緒に昼食べない?」
「うん、構わないよ」
「朝、何か買ってきた?」
「いいや」
「じゃ、購買で買ってから移動しよう」
昼食を買った後、酒谷に連れられて俺は第二校舎の裏に来た。
「で、いったい何があったの」
花壇の縁に腰掛けるなり、酒谷は単刀直入に訊いてきた。
「何が、って」
「最近の天宮は変だ。僕に隠し通せると思ってるの?」
そう言えば、酒谷は冬合宿の時も俺の異常を察知している節があった。
酒谷は役員選挙以来の戦友だ。無理矢理入らされたような天文部の活動にも一番多く付き合ってくれた。同じ学年では、俺を一番よく見ているのは間違いなく酒谷だ。
合宿の時は、酒谷は俺に何も訊いてこなかった。彼はそんな気遣いが出来る人間だ。いま彼が俺を問い詰めるのは、俺の何かが彼の許容量を超えてしまったからかもしれない。
来年度はお互い会長と副会長として助け合っていけると考えていた。酒谷にだけは話した方が良いかもしれない、と俺は思った。
「俺、隣県の樫ヶ谷学院の編入試験を受けるつもりなんだ」
「――えっ」
「お前や小野寺先輩との約束、破る事になる。ごめん」
「その理由は、多分教えてくれないんだよな?」
酒谷の問いに、俺は沈黙で答えた。ひどく罪悪感を感じた。
もし、何処かからやり直せるなら、酒谷とは仮面を脱いだ俺で付き合いたい、と思った。
その日の放課後、俺は家に真っ直ぐ帰らずファーストフード店で勉強した。北斗に樫ヶ谷の事がばれた以上、今後は毎日の事になりそうだ。
帰宅して自分の部屋に戻ると、何故か違和感を感じる。
改めて室内を見渡してみると――いつも閉じているはずの本棚のスライドが開いていた。
剥き出しになっている裏の棚は、は樫ヶ谷学院の編入試験願書を隠している所だ。
俺は物音が立つのに構わず棚の本を全て引きずり出した。だが、嫌な予感通り願書は影も形も無い。
誰だ――いったい誰がこんな事を!?
焦燥に駆られて部屋を飛び出すと、廊下に北斗が立っていた。
「南斗。お前が探してんのって、これだろ?」
そう言って北斗は右手に持っているものをひらひらと振った。
何故? 何で北斗が俺の願書を――!?
「かっ、返せ!」
「やだね!」
北斗は身体を翻すと階段を駆け下りた。一瞬反応が遅れたものの、俺もその後を追った。玄関を出るとき勢いよくドアを閉められ、更にワンテンポの差をつけられる。その僅かな隙に北斗は自転車で走り去った。
その進行方向を確認し、俺もすぐに自転車で追いかける。北斗は全速力で自転車を漕いでいたが、まるで俺が北斗を見失うと思うタイミングに合わせて減速しているみたいで、完全に引き離される事は無かった――まるで、俺を何処かに誘い込むかのように。
そうして北斗はあまりに見慣れた上り坂に入っていった。
その先にあるのは、俺達の学校。俺が去ろうとしている惣稜高校だ。
北斗の自転車は正門では止まらず、裏門へと向かっていった。乱暴に自転車を乗り捨て、俺の願書を抱えて鉄柵を乗り越えようとしている。片手が塞がっているため手間取っているのだろう。北斗が学校の敷地に入った時には俺も追いつき柵をよじ登った。
「待て北斗!」
「誰が待つかよ!」
暗い校内を、北斗を追って駆け回る。お互い自転車を全力で走らせた後なので体力的には限界に近いが、逃げる北斗も追う俺も互いに譲れない。
だが、北斗がどういうつもりで逃げているのか全く判らない。
やがて俺達はグラウンドへと抜けた。トラック沿いに走るうち、遂に速度が落ちた北斗を俺は捕まえた。だが北斗はその場に踏みとどまり願書を抱え込む。
「北斗、その願書を返せ!」
「渡さねぇよ絶対!」
俺は北斗の腕を引いたが、北斗も身体を引いて必死に抵抗した。
北斗の身体の動きを封じるために背中に抱きつく。横合いから願書を取り返そうとしたが、北斗は俺から抜け出そうともがくので上手くいかない。
「い、や――だっ!!」
「ぁぅっ!」
暴れる北斗の肩が俺の胸に入り、その衝撃で俺は倒れた。すぐに身体を起こしたが、自由になった北斗は既に願書の封筒を両手にかけていて。
「なっ、やめ――!」
俺の静止は間に合わず、願書は北斗の手によって真っ二つに裂かれてしまった。更に北斗は怒りか何かに任せるかのように、願書を紙くずになるまで千切り続けた。
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