北斗が掌を開くと、千切られた紙片が風に乗ってグラウンドを舞った。それを見届けた北斗は地面に座り込む。
願書が無ければ編入試験は受けられない。ただでさえ期限が迫っていたのに、今からではもう間に合わないかもしれない。俺は北斗に飛びつき襟首を掴んだ。
「北斗、何てことしてくれたんだ……!?」
「うるせぇこの自己完結野郎! 誰が樫ヶ谷になんか行かせるかよ!!」
北斗は俺と同じぐらい怒りを込めた目で俺を睨み、怒鳴りつけた。その勢いのままどんどん言葉を繋げていく。
「一人で思い込んで勝手に逃げてんじゃねぇよ! だいたい南斗、お前無責任すぎなんだよ、俺をあんな目遭わせといてフォロー無しなんて信じらんねぇし、そのまま冬休み中合宿から帰って来ねぇし! 帰ってきても目ぇそらすし無視するし、しかも父さんと母さんの前じゃわざと普通にしてたりとか、すっげぇむかついたんだけど!」
俺も願書を破かれた怒りと興奮に任せ、激しい口調で反論する。
「だから! 俺は言ったじゃないか! 北斗の嫌がることはしない、もう近寄らない、って!」
「それがフォローになってないっつぅの! お前の気持ちってその程度だったわけ? 本気なら最初から逃げるなんて考えねぇで、俺がもういいって言うまで謝って謝って謝り倒すぐらいしろ!」
思ってもみない北斗の言葉に俺は息を呑んだ。手から力が抜け、北斗の襟を放してしまう。
「……俺は、南斗が俺の側からいなくなるなんて、ぜってぇ嫌だ」
どうして?
「それでお前が何処にも行かなくなるっつぅんだったら、願書盗むんだって何だってやる」
何でお前は俺にそんな事が言える?
北斗は俺の手を取るとそのまま腕を抱きこんだ。肩と肩が触れる。顔が近づく。
「――南斗のためなら、兄弟なんてやめてやる」
北斗が俺に「行くな」と言っている。だが俺の心は急速に冷え込んだ。
「北斗それ、本気で言ってる……?」
俺にはとてもそうとは思えなかった。きっと北斗は予想外の俺の行動に対し、そこまで追い詰められているのか、と哀れんでいるだけだ。
「半端な同情ほど人を傷つけるものはない、って北斗はちゃんと理解してる?」
「同情なんかじゃねぇよ!」
「同情だよ。じゃなきゃ北斗は勘違いしてる。兄弟がいなくなるのを嫌がってるだけなんだよ、お前は」
「なんで――何でそんなこと断言すんだよ!!」
「だって北斗は知らない」
知っていたら、絶対にあんな事は言えない。
「俺がどんな汚いこと考えてたか」
女の子でも赤の他人でもないお前が欲しくて欲しくて。
恋慕も欲望も、全部がお前にしか向かなくて。
「お前をどうしてやりたいって思ってるか」
お前を独りきりにして何もかもを俺だけのものにしたい、と。
あの時引き裂きかけてやめたものを、今度こそぐちゃぐちゃにしても奪いたい、と。
――こんな、狂気じみた昏い熱をお前は知らないから。
「じゃなきゃ簡単に、兄弟やめるなんて言えないだろう!」
「知ってる、全部知ってる! 俺、今日、幸崎先生から全部聞いた!」
北斗の身体が一瞬離れ、すぐに再び密着する。
首筋を抱きしめられているのだという事を認識、いや信じるまで時間がかかった。
「お前が俺の事ずっとそういう目で見てたのも、気ぃ逸らすために天文部創ったのも、我慢できなくなりそうだから樫ヶ谷行こうとしてたのも、俺、知ってる――それでも、俺はお前が良いっつってんだよ。っつぅか、男だったらそんぐらい普通なんじゃね?」
「でも、でも――」
本当に良いんだろうか。
このまま北斗を抱きしめても構わないんだろうか。
あの夜、子供の俺を呼びながら泣きじゃくった北斗が脳裏に浮かぶ。
「俺、もう二度と北斗をあんな風に泣かせたくない……」
「あーっ、もう! お前まだそんな事言ってんのかよ!」
そう叫ぶと北斗は俺の身体を押し戻し――思い切り俺の頬を叩いた。
「ほ、北斗?」
「今の一発でチャラにしてやるから! これ以上グダグダ抜かすんじゃねぇぞ。全部却下だ却下」
北斗は挑戦的な瞳を向け、笑っている。
「二度とこっちが脅えるような真似しねぇこと。ついでに一生責任取ること」
一生責任、って。つまり北斗は、本当に――。
「良いの? 本当に良いの?」
俺は宙に泳がせていた腕で北斗を抱きしめ、その肩に自分の顔を埋めた。
受けた衝撃が強すぎて、身体が震えてしまう。
そっ、と背中に触れるものがあった。北斗の掌。俺を優しく撫でてくれている。
「俺もたいがい鈍くて我侭でひねくれてたけどさぁ、お前も相当、思い込み激しくて頑固で臆病だったよなぁ」
北斗が俺の耳にそう囁いた時、俺は自分の真実を悟った。
臆病――そうだ、心の中で色々言い訳しておきながら、俺はただ北斗の言葉が怖かっただけなんだ。
「逃げ回る王子様なんて普通いねぇよ。俺じゃなきゃとっくに見捨ててたぜ?」
からかうような言葉のすぐ後に、唇に軽く触れた感触が遂に俺のたがを外した。
離された唇を奪い返し、柔らかなそれを食む。開いた隙間から差し入れた舌と舌が絡んだ。
寝込みを掠め取るのでもない、無理矢理強奪するのでもない初めてのキス。
ずっとずっと欲しかったもの――何という、幸福。
「――っ、けはっ」
こちらが無我夢中になりすぎたせいで北斗が息を詰まらせた。
「北斗、大丈夫?」
「っ、は……へ、平気」
目にうっすらと涙を溜ながらも、北斗はこんなキスは俺が相手じゃないと出来ない、と言ってくれた。
「南斗。好き――すっげぇ好き」
「俺も好き。北斗がいてくれるなら、それだけでいい」
もう馬鹿な真似なんてしない。
二度とお前から離れようだなんて思わない。
絶対に、離さない。
もはや俺達に合図は必要なかった。俺も北斗も貪るように互いを求め、背中や髪に砂がつくのも構わずグラウンドを転げ回ってキスを奪い、与え続けた。
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