無我夢中で続けたキスから我に返った俺達は、グラウンド沿いの石段に座った。
北斗は俺達が着ている制服を見比べ苦笑いした。グラウンドの照明のみでもお互い酷い格好なのが判る。
「やっべぇ、俺らの制服、ドロドロのぐちゃぐちゃ」
「家に帰ったら、間違いなく何してたか訊かれるね、これは」
「あー……取っ組み合い?」
「そりゃあ九割五分ぐらい本当だけど……」
「男兄弟だからそれ以上追求されねぇだろ」
そう言って北斗は手を伸ばし、指で俺の頬に触れた。さっき思い切り叩かれたところだ。
確かに取っ組み合いで納得してもらえそうだが、そもそも何が原因だったのかについては問いただされるだろう。その理由を遡った時の方が問題になる気がするのだが。
「北斗がばら撒いた願書も拾わないと。警備員に見られたら明らかに不審者扱いだよね」
「そこんとこは平気だぜ。幸崎先生に頼んで、俺ら部活動で下校遅くなる、っつぅ許可取ってもらってっから。後はどうにでも誤魔化せるだろ。今夜晴れてなきゃ使えねぇ手だったけどな」
どうやら今夜の追走劇は周到に計画されたものだったようだ。しかも、北斗はいつの間にか幸崎先生を味方につけていたらしい。正直、複雑な気分だ。
「そういやさぁ――南斗、何で星だったん?」
あいつが夜空を見上げ、ぽつりと呟いた。
北斗と思いが通じ合った以上、もう隠す必要は無いだろう。そう思って正直に話す事にした。
「昔、北斗が言ったよね。北極星はあるけど南極星は無い、って。あの時俺、何故か物凄くショックだった。最初は理由が解らなくて、知りたくて北極星について調べたら、ポールスターって単語には道しるべ、って意味があるのを知って。その時から俺の中で北斗は北極星になった。俺はずっと、北斗がそこにいるほうに向かって進んでたから」
俺も北斗と同じ方角の空を見上げながら片手で周囲を探った。そして触れた北斗の指を握る。
「だから俺も南極星になりたくて、なら目指されるような人間になればいいのかと思ったんだけど。自分の本当の気持ちに気付いた頃には、そういう想いが星空全体に広がってた」
「――なんだ、ホントに同じなんだな、俺ら」
「え?」
「俺も、南斗に思い切り引き離されてもお前が目指してくれる北極星でいられれば良い、って心のどっかで思ってた。だから星が好きだった」
俺は驚いた。視点は違えど、北斗が星を好きな理由は俺と全く同じだったなんて。
「これからはちゃんと話しような」
「うん」
「煮詰まってからじゃ遅いしな」
「……うん」
北斗は俺の掌を解き、自分から握り返してきた。夜の冷気の中、触れ合う皮膚はじんわりと温かかった。
しばらくの間そうしていると、北斗がくしゃみをした。
「身体冷えた? 早く帰って風呂に入ったほうがいいんじゃない?」
「じゃあ一緒に入るか?」
「いいいい、いいっ! それは遠慮しとく!」
――もしそんな事になったら、俺は許容量オーバーで昇天してしまうかもしれない。
「それは置いといて、何かまだ帰りたくねぇ気分なんだよなぁ」
実を言うと俺も北斗と同じ気持ちだった。この夢のような現実の時間をまだ手放したくない。
「――南斗。いきなりだけど、フォークダンス踊んねぇ?」
「え?」
北斗が突然そんな事を言い出し、俺は目を丸くした。
「お前、後夜祭んときフォークダンスはホントに好きな奴としか踊らねぇ、って言ってただろ」
「北斗、よくそんな事憶えてたね」
更なる感動で、俺は胸がいっぱいになる。
「あの時は北斗に気付かれないようにするのに必死で、こんな日が来るなんて思いもしなかった」
「ほら、行くぜ」
北斗は、今度こそ他の誰でもない俺の手を引きグラウンドに連れ出した。
澄んだ冬の星空。北天には北極星が煌めいている。
好きな人――北斗と一緒にぎこちないステップでフォークダンスを踊る。
「実はさぁ、お前に本命いるって知ったとき、俺相当ショック受けたんだぜ」
そんな秘密を打ち明け、はにかんだ北斗は星よりも輝いて見えた。
それから俺達はグラウンドに散らばったごみを拾い、再び裏門付近の鉄柵を乗り越え自転車を回収し、並んで家路についた。乗り捨てた時の衝撃が強かったためか北斗の自転車の籠はへこんでおり、北斗はやり場のない憤りに独り言を呟いていた。
帰宅後、案の定両親は俺達の格好に驚いて一体何があったのかと問い詰めてきた。
結局、俺が樫ヶ谷に編入しようとしたのは北斗との「仲違い」が原因であり、それを知った北斗と喧嘩をした、という話になり、そんな理由で心配を掛けたのか、と俺は親にこっぴどく怒られる羽目になった。
学校側に編入試験を受けるのを止めると言うのは気が重いが、未だに引き留められていたから何とかなるだろう。酒谷からは少し嫌みをいわれるかもしれない――小野寺先輩に、自分から告げていなくて本当に良かった。
そして長い一日が終わろうとしている。
俺は風呂から上がると、そのまま自分ではなく北斗の部屋に行った。先に入浴し終わっていた北斗は、ベッドの上で何かの本を読んでいた。
青い表紙、星座の絵――あれは「星と伝説」。
なくしたと思っていたけれど、北斗が持っていたのか。
「南斗、どうしたん?」
「あのね北斗。今夜はお前の部屋で寝かせてくれない?」
「えぇっ!?」
北斗の顔が、みるみるうちに耳まで真っ赤に染まった。
「絶対にばれないようにするから。朝も母さんが起きる前には自分の部屋に戻るし」
起床時間のコントロールは俺の得意とするところだ。北斗だってよく知っているだろう。
「そりゃ当然じゃねぇか、でも、何でそんな」
「ずっと一緒に寝たかったんだよ。一人部屋なんて全然欲しくなかった」
俺はベッドに乗り上げると、北斗を軽く抱きしめた。北斗は掛け布団を捲ると、少しだけ拗ねた口調で「入れよ」と言ってくれた。
そうして俺は、数年ぶりに静かで幸福な時間を取り戻した。
北斗を腕に抱いて見た夢――それは互いの距離は遙かに遠いはずの、おおぐま座のミザールとアルコルが寄り添い合う奇跡だった。
fin.
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