【大学生編・卵焼き編 その3】
2006.11.15 20:11
会計はきっちり割り勘にしたい、と彼氏君は真面目なところを見せた。
たった一つ違いとは言え、受験前の高校生と俺達とでは経済事情が違うだろうから、彼の遠慮を押し切り残りの四人が会計を多目に持った。
店を出ようとした時、入れ違いで一人客が入ってきた。
「――お前こんなとこで何やってんの?」
北斗は俺を睨みつけ、低い声で言った。
しまった、朝に家を出てから俺は、一回も北斗に連絡を入れていなかったんだ!
「あ、れ? もしかしなくても噂のお兄さんですか?」
北斗はわざとなのか篠原さんの問掛けを無視し、店外へと引き返しながら何処かに電話をかけた。
「もしもし菱井? ……うん、これからお前んとこ行っていい? 出来れば泊まり。先輩いるんなら遠慮すっけど――あぁはいはい、コンビニ寄って買ってくるわ」
俺に聞こえる声で会話しながら、しかしこちらの方は一切向かずに北斗は歩き去っていった。
2006.11.16 22:17
「あれは……怒ってたなぁ」
「俺、連絡ぜんぜん入れてなかった――」
そりゃ仕方ないなぁ、と弟さんは肩をすくめた。
昼食当番も無断で放り出してしまったから、北斗には心配をかけてしまったかもしれない。なのに当の俺ときたら夕食まで友達と一緒に外食で済ませていたのだから、あいつの怒りは当然だった。
酷い罪悪感が俺にのしかかる。
「北斗、下手したら明日の夜まで帰って来ないかもしれない」
当て付けるように菱井に連絡していたのは、つまりそういうことだ。
「天宮君。ここはひとつ覚えたばかりの卵焼きでお兄さんのご機嫌とったら? 兄弟なんだから懐かしの味は同じでしょ」
ああ、そう言えばそんな設定になっていたんだっけ。
俺の本当の好みとはかけ離れた味の卵焼きを習うことになったのはみんな北斗のためで、けれどそれが原因で北斗を怒らせてしまったのは、我ながら涙が出るほど情けない。
しかし今の俺がとれそうな有効な手段は他に無さそうだった。
「じゃあさっそく行こう、遅くまで開いてるスーパーに!」
篠原さんが威勢良く腕を挙げる。男四人はそんな彼女のあとをついて行った。
2006.11.20 07:56
☆ おまけ・その頃の北斗 ☆
「――ほんとにお前らって高校ん時から変わってねーよなぁ」
ほれ、と菱井がビールの缶をこっちに寄越した。他にもこいつんちには小野寺先輩用の酒が置いてあるのだと前に聞いている。
生活用品の入り込み具合いといい、一週間のうち半分以上はどっちかの部屋にもう片方が泊まり込んでる現状と言い、とっとと一緒に住んじまえば、と俺は思うが、「北斗達んとこみたいにゃいかねーんだよ」と否定された。菱井は先輩に対してのみプライドがエベレスト並に高ぇから、色々思うことはあるんだろうけど。
「で、今回の喧嘩は何が原因?」
俺は菱井に、今日の朝からの出来事を説明した。
「何か……凄ぇショックだった。南斗が俺の知らねぇところで知らねぇ連中と遊んでることなんて昔から散々あったのに、作り笑顔じゃなくて小学生の時みてぇな笑顔で楽しそうにしてた、ってのが。どうしよ菱井、俺変だよ」
2006.11.22 07:54
「北斗はいい加減嫉妬することに慣れた方が良いよ」
「嫉妬に、慣れる?」
「天宮南斗が誰と何してようが関係ない、ってスタンス無理に取り続けたから、そこんとこの感覚おかしくなっちまってんだよ、北斗は」
でももう何年も経ってるだろ、と菱井は俺が買ってきたサキイカを食いながら言った。
「妬く度にそれが何なのか解んなくてグルグルしちゃってる、って感じ。まー、それだけお前の感性が普通に近付いてきてるんだろーけど」
「そうなんかな……って俺は普通じゃなかったのかよ!」
「あー、常人より遥かに素直じゃなかったな」
ちょっ……そりゃ菱井には言われたくねぇぞ。
けどやっぱ、俺以上に俺のこと解ってんのはこいつなんだよな。大学生にもなってそれはどうよ、と自分で思わないでもないが、俺は事ある事に菱井に甘えてしまう。菱井はそれが嬉しいよ、っつってくれるけど。そのぶん菱井ももうちょっとこっちに悩みとか言ってくれると良いんだけど、ほんとギリギリまで溜め込む性格だからなぁ。
「良い傾向、って言ったら天宮南斗もだけどな」
「南斗が?」
「北斗にゃ複雑だろーけど、あいつお得意の作り笑顔じゃなかったんだろ? それってやっと自然な人間関係築けるようになった、って事だと俺は思うわけよ。あいつ基本的に北斗の事しか考えてないじゃん?」
成績上げたのも他人の視線を独り占めにしたのも全部お前のためだよ、と菱井は言った。確かに、昔そんなような事を南斗に言われた記憶がある。
「天宮南斗が誰とでも仲良くしてたのは全部計算ずく、って事。それって到底まともとは言えねーだろ? 本当に仲良かったのは、優の代の生徒会役員と和地ぐらいじゃねーの?」
「お前は?」
嫌われてるじゃん思いっきり、って菱井は笑った。
「それも自分から、っつーより優や酒谷が自分から働き掛けて天宮南斗に心を開かせたって感じ。だから、あいつ自身が『普通の友達』を作れるようになったのは大進歩ってわけよ」
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