選挙には候補者の演説がつきものだ。それがどのような規模であれ。
だから生徒会役員選挙にも立ち会い演説会がある。
「何で生徒全員出席が義務なん? 俺行きたくねぇんだけど」
嘆く北斗をまぁまぁ、と宥めながら菱井は校庭への移動を促した。
「うちで許可されてる公式の選挙活動って演説会ぐらいだから仕方ねーよ。そこら中に顔写真入りポスター貼りまくられるよりよかったんじゃねーの?」
「俺は登下校時の校門前とかでの宣伝活動もアリにして欲しかった……山口先輩に握手して貰いたかった」
「久保っちの意見は聞いてねーよ」
菱井と橘は左右から久保田の肩をどついた。
「ボクは久保田君の意見に賛同するね」
「えっ、緑川も山口先輩ファンなのか!?」
何を馬鹿な事を、と緑川は鼻を鳴らす。
「候補者各個人に特別な思い入れは無いけれど、シャッターチャンスは山のようにありそうだからねぇ。演説会の聴衆としてじゃあ、撮影条件が悪すぎるのだよ」
久保田よりタチ悪ぃんじゃねぇか、と北斗が呟き、言われた本人以外は深く頷いた。
演説会の順番は、低い役職の候補者から順に行われていく。一年生の立候補者では、四組から会計に立候補した酒谷という少年が目立っていた。同年代の男の平均より身長が低くマイクの高さ合わせに最初苦労していたが、演説の内容は菱井達と同年代とは思えないほど理路整然としていた。しかも声には強い意志と説得力がある。小柄ながらも十二分なリーダーシップを感じさせた。
「実際、四組の中じゃ何かあったらあいつに任せときゃ大丈夫、って風潮らしいぞ」
同じ部の奴が言ってた、と久保田が抑えめの声で仲間達に教えてくれた。
書記の候補者演説の一人目が、南斗だった。真っ直ぐな姿勢で朝礼台の階段に足を踏み出した途端、一組の女子からも黄色い歓声が上がる。
「すげ、八組の天宮、もう女子を掌握してるぞ」
下田の口ぶりは、嫉妬するよりもはや感嘆するしかない、とでも言いたげだった。一組の生徒で一番最初に一番間近で南斗の極上の笑顔を見せつけられたのは、他ならぬ彼自身だ。
「これで本当に『こっちの』天宮と双子なのか?」
「うるせぇよ橘」
当然のごとく南斗の演説は完璧だったが、菱井が感じた印象は酒谷へのそれとは全く違う。酒谷に対するものは四組の生徒達と同じで、彼に任せておけば間違いないだろう、と言う信頼だが、南斗の場合は彼に「ついて行きたい」と感じさせるのだ。表情と語りだけで他人にそうと思わせるのは、無意識ならば大したものだが、意識的なものであれば凄すぎる。
子供の頃の経験で耐性のある菱井だからこそ自分の印象を冷静に分析出来たが、あらかたの生徒は単純にころっと参ってしまうのではないだろうか。
「これは、演説と言うより誘惑に近いね」
生身の人間よりも被写体にこだわる緑川も、菱井と近い感想を持ったらしい。恐らく聞き取ったのは菱井だけだろう。
北斗は、終始朝礼台から視線を外していた。
南斗の他の書記候補、副会長候補と演説は続き(山口の出番の際、久保田は南斗の時に女子達がしたように歓喜の声を上げていた)、いよいよ会長候補の最後の一人の演説となった。
「残ってるのは、今書記やってる小野寺先輩かぁ」
「この人も女子に騒がれてるよな。俺ちゃんと見たこと無いけど、すっげぇ男前らしいぜ」
この時橘が言った「オノデラ」という単語は菱井の頭にきちんとインプットされなかった。いや、されたとしても簡単に記憶と結びつかなかっただろう。
だから朝礼台に上がった男を見たとき、菱井は咄嗟に声を上げそうになる口を両手で押さえ込んだ。
五年の歳月は「あいつ」の容貌を、最後に神社の裏手で見た面影を残しつつも更に男らしく怖いぐらいに整ったものへと変えていた。酒谷が縮めるのに苦労していたマイクスタンドの高さをいとも簡単に伸ばす。自分でも結構背が高い方だと思っている菱井よりも身長があるだろう。
『二年五組、小野寺優です――』
(なな、何で!? 何でこいつが日本にいるんだ!?)
公園の隣の敷地は、現在ではコンビニになっている筈だ。混乱のあまり菱井は小野寺の演説をまともに聴くことが出来なかった。
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