菱井が観念したらしいのを見届けると、山口は「あとはごゆっくり♪」と言い残して生徒会室から出て行った。
「……で? 何でわざわざ俺を呼び出したんだ?」
仕事があると言う山口の話は嘘だ、と菱井にはもう解っていた。そうと言えば菱井が逆らえなくなる事を小野寺は熟知している。
「五年ぶりに再会した幼馴染みと話したい、と思うのは普通の事だろう?」
良介は違ったみたいだがな、と付け加えられ、菱井は返事に詰まる。
「お、お前とつるんだら周りが敵だらけになる、って思ったし」
小野寺は短く感嘆の声を上げた。
「売られた喧嘩は残さず買う奴だったのに、少しは学習したみたいだな」
うるせー、と叫びたくなるのを菱井は堪えた。やはり成長していない、と嘲笑されるのかもしれないのが嫌だったからだ。
「そーだよ、最初から売られなきゃ買う必要ねーだろ? そもそも」
優が俺のこと憶えてるとは思わなかったし、と菱井が続けようとしたのを、小野寺の声が遮った。
「良介。お前は最後の約束を憶えているか?」
『憶えていろ、良介』
――忘れる、わけが無い。「スグル」に関する最後の思い出。落ちた、と思った瞬間と連続する記憶。
『お前は一生俺のものだ』
未だ幼さの残る声で告げられた呪い。けれど去っていったのはスグルの方だった。
「憶えてる、よ」
不意に生まれた寂寥に戸惑いながらも、菱井は答えた。
「そうか――」
項垂れる菱井には、その時小野寺が浮かべた表情には気付けなかった。
「良介が嫌ならお前のことは誰にも言わない。その代わり、二人きりか他に郁美しか居ない時ぐらい、昔のように話しても構わないだろう?」
「そんなら良いよ。お前約束だけはきっちり守るし守らせるからな」
唯一破った、と思っていたあの言葉すら、彼は貫くつもりらしいのだから。
「なら、もう帰っても良い」
「はっ?」
これから思い出話か何かするのか、と菱井が思っていた矢先、小野寺は掌を返したかのように冷たく言い放った。
「言いたかった事は全て話した。俺は未だ仕事が残っているからな」
「つまり邪魔だからとっとと出てけ、って!?」
小野寺は鷹揚に頷くと、まるで最初から菱井など居なかったかのように自分の仕事を始めてしまった。
「ただいまっ!」
「良介! 床を踏みならしながら歩かないの!」
母親の怒声が台所から飛んできたが、殺気立っている菱井は聞く耳を持たなかった。
(ムカつく、すげームカつくあの野郎っ!!)
生徒会室を出てから時間が経つにつれ、菱井の中で小野寺に対する怒りがどんどん膨張している。
菱井は、小野寺は昔と同様に自分を彼の都合で振り回す気なのだと思った。あの約束を持ち出したのもきっと、自分の立場を菱井に再認識させるためだったに違いない。
「ちょっとお兄ちゃん。何そんなにカリカリしてるのよ」
夕食前だと言うのにクッキーを囓っている可奈子が兄に声を掛けた。
「どうもこうもねーよ、ス……」
優が、と言いかけて菱井は言葉を濁した。
「いや、何でもねー」
同じように小野寺とは幼馴染みであるはずの妹にすら、菱井は彼の事を全く言っていない――否、言えないでいる。
退院後、海外に越してしまった小野寺の事を菱井が訊こうとすると、両親は決まって曖昧で微妙な反応しか返さなかった。菱井家の中でそれは、いつの間にか触れてはならない話題となっていた。
はっきりと聞いたわけでは無いが、きっと菱井の怪我にその原因があるのだ。菱井の治療費全額を小野寺の両親が持ったと言うことは、小野寺の側に全ての過失責任があると判断されたのだろう。
菱井が友人達に小野寺の事を言わないのは、これも理由の一つなのかもしれない。
こうして山口以外の誰にも秘密のまま、菱井と小野寺との時間は再び動き出した。
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