ずらりと並んだ本の背表紙に書かれたタイトルは、どれもまるでピンク色の砂糖を口一杯に含まされたかのような気分になるフレーズばかりだ。
そのうちの一冊を過って開いてしまったことがあるのだが(書店のカバー付きで、リビングのテーブルの上に転がっていたせいだ)、内容の方も十二分、いや二十分ぐらいとんでもなかった。
「ちょっと、お兄ちゃん。何私の本棚眺めながら呆けてるのよ」
可奈子の声が横から飛んできて、菱井は我に返った。
「もしかして興味あるとか? 私のオススメ貸してあげようか」
「い、いや! 委員会で疲れてぼーっとしてただけだって! そうだメシ、メシ出来たって母さんが!」
「ふぅん――わかったから、お兄ちゃん制服着替えてくれば?」
可奈子が深く追求してこなかったので、菱井はほっと胸をなで下ろした。
妹の部屋を出る前にもう一度、菱井は本棚をちらりと見た。
中学に上がった頃からだろうか、可奈子はいわゆるボーイズラブものの漫画や小説を好んで読むようになった。それも、かなり熱心に。
菱井は以前、母親が可奈子の買ってきた本の表紙を眺めながら「どうして、あの子はこういう趣味になっちゃったのかしら」と嘆いているのを目撃したことがある。そして彼女は何らかの回答を求めるかのように息子の顔を見た。当然、菱井にだって理由が解るはずも無かったのだが。
そんなわけで、菱井は世間に男同士の恋愛なるものが存在する事を知っていたし、南斗の厄介な激情を知っても丸呑みするぐらいの余裕はあった。
しかし、自分の身に降り掛かってきたとなれば、話は全然別になるのだ。
「みどりかわー……」
翌日の時限休み中、菱井は脱力しきった声で前に座る緑川に声を掛けた。
「何だい菱井君。まるで軟体動物門頭足綱のような声じゃあないか」
「えっと、それ、何?」
「タコやイカのようにぐにゃぐにゃな声という事だよ」
声だけではない。昨夜からずっと、菱井は身体にも思考回路にも力を入れることが出来ないでいた。
「お前来年生物取れば? ……じゃーなくて、俺が呟きたかったのは、あのもてる会長のオンナ関係ってどうなってんのかなー、っつー事だったんだけど」
「ふむ。同じ男としては当然の好奇心だね。これを見たまえ」
緑川は自分の鞄を漁ると、菱井の机の上に一冊のアルバムを出し、ページを捲りだした。
「これはボク達が入学した直後の頃、こちらは生徒会役員選挙の前後に撮影したモノなのだよ」
緑川が指した写真にはカップルが並んで校内を歩いている様子が写っていた。ただし、男の方は二枚とも小野寺だが、女の方は互いに全く別の人物だった。
アングルはどう考えても隠し撮りにしか見えない。
「やはりあれだけ人気がある人だから、告白してくる女生徒は後を絶たないみたいだねぇ。尤も、長続きはしないようだけれど」
「……緑川、お前将来写真週刊誌の編集部に就職すれば?」
「まさか! あんなプライドと芸術性の欠片も無い写真を撮る職業など真っ平ご免なのだよ!」
じゃあこの写真は何なんだよ、と菱井は言ってやりたくなったが、緑川はこと写真に関しては異常なまでに饒舌だ。下手に刺激して教師が来るまで喋りまくられても困る。
「話が逸れたから戻そうじゃあないか。我が部の先輩方の話によれば会長の交際期間は長くても二、三ヶ月程度らしい」
流石に個々の破局理由は判らないがね、と緑川は言った。別に、菱井はそんなところまで知りたい訳では無かったのだが。
「現在、会長に交際相手は居ない模様だけれど、まぁ、次が現れるのも時間の問題だろうね」
(優にカノジョがいない? ……だから俺にキス? いや、そりゃー何が何だか――)
緑川風に言えば「軟体動物門頭足綱」な今の菱井の思考能力では、前日の小野寺の意図はさっぱり理解出来なかった。
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