頭の中は未だ混乱しているというのに、もう次の文化祭実行委員会が開催されるとは。
(だからあのプリントは明日、っつーか今日配られるって事になってたんだな)
あのキスのせいで今日も委員会があることなど菱井の記憶からは消し飛んでいた。それでも帰宅後、可奈子の部屋から退散してからちゃんと依頼の電話を掛け、全件了承を取ったあたりに菱井の性格が表れている。
今は委員会の全体進捗で、当然ながら小野寺が皆に対して説明をしている。仕事を放棄する気だけは全く無い菱井はきちんとメモを取っていたが、顔を上げることなど到底出来なかった。
(訊かねーと……あれは何のつもりだったか訊かねーと)
とにかく、今のままでは落ち着かない。菱井は或る決意をした。
第二校舎の階段を昇る際、菱井は神経質なまでに注意を払った。特別教室の集まるこの校舎は、放課後ともなれば家庭部など限られた部に所属する生徒、そして生徒会役員ぐらいしか出入りしない。
鍵がかかっていない事を確認し、菱井は生徒会室のドアを開けた。その前に立つまであれだけ周囲を警戒していたのに、ノックをしなかったのはどこか余裕が無いためだろう――そもそも他の役員が中にいる可能性すら考えていなかったのだが、幸いにも中にいるのは小野寺一人だけだった。
「良介からここに来るのは初めてだな」
小野寺の声は普段と変わらず、どこまでも落ち着き払っている事は菱井のかんに障ったが、感情にまかせて怒鳴ったりすれば、昨日のキスに菱井が狼狽しきっている事を小野寺に知られてしまう。
それは菱井にとって最も耐え難い事だ。
だから彼は、敢えてふて腐れているような口調を選択した。
「優……昨日のアレ、ジョーク返しとしちゃちょっとさみーぞ」
「まさか、良介はあれが初めてだと言うのか?」
間髪を入れず切り替えされ、菱井は絶句する。
それを肯定と受け取った小野寺は、微笑(わら)った。
菱井の目には、それは嘲笑としか映らなかった。やはり小野寺がキスしてきたのは、菱井をからかう為だったのだ。
緑川が見せた写真が彼の脳裏をよぎる。まず間違いなく、小野寺は年齢の割にその手の経験が豊富だ。なのに自分はファーストキスすら、冗談のやりとりの一環で掠め取られてしまった。
悔しくて悔しくて、菱井は奥歯を噛み締めた。
「……俺だってさー、初めてのチューにゃ人並み程度に夢、持ってたんだぜ? なのにお前がふざけて持ってかれるし」
「別にふざけたつもりは無いが。『身体で払う』と言われたら、普通にそういう風に取るだろう?」
菱井は考えを改めた。小野寺のキスに特別な意味など無く、彼は単に「くれると言うから、貰った」だけなのだろう。
その短絡的な認識は海外生活の影響だろう、と菱井は決めつける。矯正した方が良いのではとも思ったが、これ以上キスの件を自分から引っ張るのは、彼の中では「負け」になると判断された。
「――で? 結局お前は何の用で生徒会室に来たんだ?」
小野寺に問われ、菱井は言葉に詰まった。キスの意味について訊く、その一点しか考えられなかった事に今更思い至る。
「別に何も。俺だってお前の顔、見に来たって構わねーだろ?」
菱井の口から咄嗟に出たのは、そんな言葉。聞き取りようによっては恋人に対する甘えのようにも取れる内容だと言う事に、菱井は全く気がつかなかった。
「そうか。なら、良介が夢見ていた内容でキスのやり直しでもするか?」
「やっ、やんねーよ! 俺帰るからな!」
今度こそ本当に、小野寺にからかわれたと思った菱井は慌てて生徒会室を飛び出した。それでも、階段を降りる時には警戒モードにちゃんと切り替わっていたが。
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