小野寺は制服を着ており、山口の言った通り学校まで書類を取りに戻るところだったようだ。
「あのさ、これ、郁姉から預かってきた。大事な書類なんだろ?」
菱井が書類封筒を差し出した事に小野寺は驚き、破顔した。
「有難う、助かった」
小野寺から素直に礼を言われるのは、二人が再会してからでは初めてで、菱井は思わず顔を赤らめた。
(やべー、こいつ何て顔すんだよ。格好良い男って笑った顔にこんな破壊力あるわけ?)
途端に激しくなった動悸を誤魔化したくて、菱井は適当な事を口にした。
「お、お前すげーとこ住んでんな。泊まったら金取られそう」
「身体で払う気があるなら、いつでも泊めてやる」
あまりにさらり、と言われたため、菱井の反応は遅れた。
「ああ、今日のように親が帰ってくる日だけは無理だな。滅多に無いが」
「優……お前、ちょっと冗談がワンパターンすぎるんじゃねーの?」
「冗談? 馬鹿を言え」
気分を害したのか、小野寺が鼻を鳴らす。
「じゃー、俺書類渡したし帰るよ」
いたたまれなくなった菱井は早々にマンションのエントランスから出て行こうとした。しかし、手首を小野寺に掴まれ、引き留められる。
「ちょっ、何だよ!」
「――礼がまだだ」
小野寺はそのまま菱井の腕を引き寄せ、唇を寄せてきた。初めての時のような、軽く触れるだけのキス。
菱井は咄嗟の捨て台詞も思い浮かばないまま、逃げた。
「何かもう、誰か助けてー、って感じだよなー……」
駅までの道をとぼとぼと歩きながら、菱井は溜息をついた。
昔から小野寺には気に入ったものの一点食い傾向があったが、他人のからかい方までひたすら同じ事を繰り返さなくても良いではないか、と思う。このままでは菱井が女の子と「ちゃんとした」キスを経験するまでに小野寺から三桁ぐらい掠め取られてしまうかもしれない――菱井は嫌な想像を必死で打ち消そうとして、しかしかえって先程の小野寺の問題発言を思い出してしまった。
(泊まりを身体で払う、って流石に一発ヤらせろ、って事じゃねーよな?)
緑川の撮った写真を見た限りでは、小野寺はごく普通に女の子を恋愛の対象としている。同じ男に対して「その気」になるとは到底思えない。
菱井が、可奈子の読む漫画に出てくるような絶世の美少年だったら話は違ったかも知れないが、生憎彼には容姿で褒められた記憶が殆ど無かった。幼児に対する「可愛いね」という賛辞は誰もが経験済みだろう。
だが小野寺は、自分の言葉は冗談などではない、とはっきり否定したのだ。
「いやいや! 今度こそ肉体労働かもしんねーだろ!」
平凡な菱井に軽い気持ちでキスは出来ても、下世話な言い方だが突っ込むのは無理だと思うのだ。あまり深読みしすぎて小野寺に馬鹿にされるのは悔しい――が、それでもなお、不安は残る。最初に菱井が「身体で払う」と口を滑らせてしまった時、小野寺はそれが手伝いの暗喩である可能性など考えすらもしていなかったのだから。
(あ……そもそも、俺が優んちに泊まろうと思わなきゃ良い話じゃね?)
小野寺家が菱井家の斜向かいにあった頃、互いの家に泊まる事は何度もあったが、あれはご近所づきあいの延長のようなところがあった。現在の二人の関係、いや菱井家の小野寺に対するスタンスでは、それをする意欲が菱井の中で希薄だ。
歩く毎にブレザーのポケットからチャリチャリと音がする事に、菱井は気付く。
ポケットの中に手を突っ込んで、中に入っていたものを取り出すと、それは合計の金額で一駅区間の往復運賃ぶんある小銭だった。
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