菱井は自分の左肩を撫でられる感触で目を覚ました――どうやらほんの少し意識を飛ばしていたらしい。
菱井が起きたことに気付き、小野寺が腕を引っ込める。
彼は菱井の肩の傷に、何か執着めいたものを持っているのかもしれない。あるいは自責なのかも知れなかったが、何故か恨む気持ちは無い菱井にとってはさして重要な事では無かった。ただ、力を入れられすぎたら普通に痛い、と感じる程度で。
目下、問題なのは事後の疲労と喉の渇きだ。
「……優。冷蔵庫ん中に俺のペットボトルあるから取ってきて」
小野寺は大きく溜息をついたが、すぐに希望の物を持ってきてくれた。放られたそれを、やっと上半身を起こした菱井はキャッチする。
「別に毎回買ってこなくとも、うちにあるのを飲めば良いだろう」
「えー、お前いっつも同じ奴しか買わねーじゃん。俺は毎回ちげーの飲みたいの」
小野寺との関係は二度では終わらなかった。
今でも週に数回はこうして呼び出されては抱かれている。「高くつくぞ」と言われたとはいえ流石に北斗の宿泊料ぶんはとっくに払い終えていると思うのだが、北斗と南斗の問題に蹴りがついていない以上、小野寺と交わした契約は終わっていない事になる。
「なー、天宮南斗の様子は最近どーよ」
ペットボトルの中身を半分まで飲んでから、菱井は小野寺に尋ねた。
「表向きは相変わらずだ――だが、あれは殆ど限界に近いな」
「すげーな。わかんの?」
「あいつは機嫌が悪かったり落ち込んでいたりする時ほど、かえって笑顔で取り繕う。完璧であればあるほど精神は参っている、というわけだ」
やはり南斗は相当参っているらしい。今はぎりぎりのところで保っている、というところだろうか。
今後また何かあった際は小野寺を頼る事になるかもしれない。それを事前に察知するために、こうして南斗の様子を聞き出したりもしている。身体を好きに扱わせているぶん、菱井も利用できるだけ小野寺を利用するつもりだ。
だが、それが自分に対するただの言い訳になりかかっている事に菱井は薄々気付き始めている。
どうしても嫌なのであれば、契約の破棄を申し出て後は自力で親友の手助けをすれば良いだけだ。あの時は突発的な事態だったため他の方法を思いつく事が出来なかったが、猶予のある今ならば他に良い手を思いつくかもしれない。
しかし、そういう努力を菱井はしていなかった。
(だって、何だかんだ言って気持ちいーんだもんなー……)
その手の経験が無かった菱井の身体は、いともあっさりと小野寺の愛撫に陥落してしまった。ひとの身体は快楽に弱い。与えられるものの快さ(よさ)を知ってしまった今では、取り立てて拒む理由も見つからなかった。
今や二人の間柄は、ただの幼馴染みからセックスフレンドへと変化してしまっている。
菱井の小野寺に対する態度からすれば、自分たちがそんな関係になった事は菱井にとって全くの予想外である。やはり、北斗の件が菱井の精神的な垣根を低くしているのだろう。
「指、貸せ」
「え」
小野寺は菱井の右手首を強引に掴んだ。
「また噛んだな」
菱井の右人差し指の、第二関節のあたりにできた歯形に血が滲んでいる。小野寺はペットボトルとともに運んできた救急セットから消毒液等を取り出すと、手早く傷の手当てをした。
「まったく、血が出るまで噛むぐらいなら声を我慢しなければ済む話だろう。俺の他に訊く奴なんぞいない」
「それがやなんだよ、俺は」
小野寺と関係を持つのは恋愛感情からではない。だから行為の最中に声を上げるのは恥ずかしい事だ――菱井は、そう考えていた。
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