ほら、と手渡されたコーヒーには、今度は最初からミルクが入っていた。それでも、冬の明け方に何も身につけていない状態では、掌から伝導する熱は強すぎるぐらいだった。
「何か食うか?」
「んー、別に今はこれだけでいーかも」
「そうか」
小野寺はベッドの縁に腰掛けた。スプリングが僅かに軋んで音を立てる。
「良介。ここを出るとき施錠を忘れるなよ」
「あれ、どっか出かけんの?」
「今日から二泊三日の天文部合宿だ」
前に言っただろう、と小野寺はわざとらしく溜息を吐いた。
「本来なら冬は一泊の予定だったんだが、郁美がスキーをしたいだの何だの言い出してな。」
「あー、郁姉なら言い出しそう」
菱井は山口のスキー服姿を想像した。性格はともかく、彼女も小野寺と同様の万能タイプだ。きっとスキー場の男どもが目を奪われるような滑りをするだろう。
(優も多分、いや絶対上手いんだろーな。スキーとスノボどっち派だろ)
運動が駄目な自分には関係ない、と菱井はすぐに思考を打ち切った。
「――だから、お前と逢えるのは昨日の晩しかない、と」
気まぐれなのか、小野寺の指が菱井の頬を拭うように触れた。
「帰ったらまた連絡する」
小野寺の声と重なったのは、菱井自身の鼓動の音だ。
「俺はそろそろ支度して出るが、良介は好きな時に出れば良い」
「い、いや! 俺も優と一緒に出るって。その方が面倒ねーだろ?」
我に返った菱井は慌ててベッドから抜け出そうとしたが、手にしているマグカップの熱を再認識して思いとどまる。
意識を逸らそうと何処かで意識したためだろうか、昨日は特に気にならなかったコーヒーの酸味を顕著に感じた。
シャワーを浴びて服を着た後、菱井は最後にリビングに放ったままだった上着を手に取った。
「そうだ、携帯ここに入れっぱなしにしてたな」
メールか何か着ていないか、と思い菱井が携帯を開くと、待受画面に着信を示すアイコンが表示されていた。着信履歴を見ると、それは北斗からのものだった――時刻は深夜。
(え、何、こんな時間に掛けてくるっておかしくね?)
夜の間は忘れていた不安が再び菱井の中で甦った。急いで北斗の携帯に電話を掛けてみたが、呼び出し音が虚しく響くだけで応答は無かった。リダイヤルを繰り返すたび重苦しいものが喉の奥に溜まる。
「何ででねーんだよ、北斗……!」
「どうした、良介」
「昨日の晩に北斗から電話あったみてーなんだけど、今こっちから掛け直しても反応ねーんだ」
「まだこの時間帯だからだろう」
「そーかもしんねーけど、でも」
落ち着かなげに視線を携帯と小野寺との間で彷徨わせる菱井を見つめながら、小野寺は淡々とした口調で告げた。
「昨日の放課後、うちの天宮が生徒会室の窓から校舎裏を見下ろしていた」
「え……?」
「俺が声を掛けるとあいつは酷い作り笑顔でこっちを見た。完璧すぎてかえって壊れているのがよく判ったがな」
放課後、校舎裏という単語が菱井の中で一つの結論を出す。
あの南斗が、北斗が告白されている現場を見て遂に「壊れ」たのだとしたら。
「優! 何でそれ早く言わねーんだよ!!」
「お前が訊かなかったからだ」
菱井に胸ぐらを掴まれてもなお、小野寺は平然とした表情で言い切った。
「そ、そりゃーそうだけど、でも!」
菱井は何度か眉根を歪めると小野寺を突き放した。
「俺、北斗んとこ行くから!」
菱井は小野寺に別れの言葉を告げないまま、慌ただしくスニーカーを引っかけ玄関から飛び出していった。
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