「小野寺さん、飛行機の時間は?」
「あと十五分ぐらいでここを出ませんと」
「すいません、菱井のおじさん、おばさん」
「なんだい、優君」
「最後に、俺だけで良介に会わせてもらえませんか?」
【Track 07 : Shake My Hand】
「緑川ー。次の授業、教科書見せてくれよー」
「全く……仕方がないねぇ」
緑川は首を大げさに振りながらも、出したばかりの教科書を開いて机の端の、菱井から見やすい位置に置いた。
「ところでさー……」
「何だね?」
「結局、俺達ってこの一年ずっと席が離れなかった事になるのな」
きっと運命なのだろうね、と言うと緑川は、教師が来る前にカメラのレンズを菱井に向けた。
その朝、菱井は緊張しながら北斗が登校してくるのを待っていた。
自分の存在が北斗を苦しめるだけだと思い込んだ(それはかなりの部分、事実ではあるのだが)南斗が、全寮制の樫ヶ谷学院の編入試験を受けようとしている事を、菱井は北斗から聞かされていた。そして悩んだ末にやっと自らの答えを見いだした北斗は、南斗の動きを阻止すべく菱井と作戦を練った。
決行は、昨日の夜の筈だ。
もし成功すれば――勿論、二人の想いが揃った以上その公算は極めて高い――秋から続いた、北斗と南斗とのあいだの問題は解決する。
そしてそれは、菱井と小野寺とのあいだに結ばれた契約の終わりをも意味していた。
やがて一組の教室に入ってきた北斗は、どこかそわそわした様子で、明らかに普段と態度が違った。席に着いたまま菱井が首を伸ばすと、北斗と目が合う。北斗は恥ずかしげに目を伏せた。
(あれは……上手く行ったな)
正直言って、娘を嫁に出した父親のような気持ちだ。いや、親友の恋の成就は喜ばしい事ではあるが、反面、南斗に対して或る種の嫉妬を感じてしまうのは否めない。菱井にとっても北斗は、それだけ大切な存在だった。
だが菱井は、そのようなそぶりは全く見せず、側まで来た北斗ににやりと笑いかけた。
「どうだった? お姫様」
「うるせぇよ」
北斗は顔をしかめたが、そのあとぼそりと「成功した」と呟いた。
「そーか、良かったな」
「サンキュ」
はにかんだ北斗は、菱井が今まで見たなかで最も可愛らしかった。男に対する形容としては微妙だが、それが菱井の偽らざる感想だった。
教室ではどうしても人目があるため、菱井と北斗は昼休みに二人だけで第一校舎の屋上に上がった。そこなら生徒は殆ど来ない。昼食を食べながら、菱井は北斗から昨夜の首尾の一部始終を聞いた。
「それで北斗、家に帰ったら――ヤっちゃった?」
菱井がわざと訊くと、北斗は顔を真っ赤にして「してねぇよ!」と声を荒げた。
「南斗は一緒に寝たいって言ってきたけど、何もしねぇって言ったし、マジで寝てるだけだったし……」
菱井は、実は最初から解ったうえで訊いている。もし、北斗に菱井と同程度の忍耐と演技力があれば話は別だったが、菱井の洞察は正しかったようだ。ただ、一度は北斗を襲ったうえ、恐らく自制に自信が無かっただろう南斗が、紳士的な態度を取ったのは菱井にとって意外だった。
もしかしたら、北斗の気持ちを手に入れたことでかえって北斗を大切にしなければならないという強い気持ちが南斗の中に生まれたのかも知れない。今は全く表面に出ていないが、行為に及ぼうとすることであの夜の出来事がトラウマに変換される可能性が無いわけではないのだ。勿論、そんな事態になった場合は、南斗に対して徹底抗戦の構えを取る気の菱井である。
「あ。着メロ鳴ってんぞ、菱井」
音は1コールで途切れたが、菱井は履歴を確認するため制服のポケットから携帯を取り出した。
不在着信履歴には、小野寺の名前。
「誰?」
「スグ――会長から」
「そういや去年会長には匿ってもらったりして、世話になったな。一度ちゃんと礼言っときてぇな」
何も知らない、知らせていない北斗が言う隣で菱井は、漠然とした不安から来る動悸と戦っていた。
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