月曜日、登校してきた北斗の様子は明らかにおかしかった。妙に、周囲の視線を意識している。
「おはよー、北斗」
「っ……! お、おはよっ」
菱井が視線を合わせた途端、北斗の顔が真っ赤になる。
(あー、ひょっとしてコレは――)
やはり自分の予想通りだったと菱井は思う。北斗もこれからはポーカーフェイスを習得した方が良い。
「下田! ゲーム、サンキュな。凄ぇ面白かった」
「クリアしたの? 天宮にしちゃ早いね。二日間ぶっ通し?」
「あ、ああ」
果たして北斗は本当に、ゲームをプレイしたのだろうか。詮索するだけ野暮だろう。
放課後、北斗の掃除当番が終わるのを待って、菱井は教室まで彼を迎えに行った。
「北斗。帰ろーぜ」
しかし北斗は、ああ、とかうん、とか言ってまごつきながら、なかなか動こうとしない。そのうち他の当番の生徒達は皆帰ってしまった。
「……菱井」
意を決したらしい北斗が、強張った表情を菱井に向けた。
「どっ……土曜、あいつと、その」
菱井がとっくに気付いている事を知らない北斗が律儀に報告しようとしているのが可笑しくて、そしてほんの少し悔しい。これはやはり娘を持った父親の気分なのだろうか。否、同一ではないだろう。南斗に対する或る種の嫉妬であるのは間違いないが、負けた気分になりそうなので考えるのはやめにした。
「遂にヤッちまったの?」
「なっ! はっきり言うんじゃねぇよ!」
「まー、俺は安心したよ」
クリスマスの晩に南斗に襲われた一件は、北斗にトラウマとして残らなかった事が判ったので、菱井としてはよしとすべきだろう。
だが一方で、友人の性的な、それも特殊な事情を意識したことは、どこか居たたまれない感情を菱井のなかに引き起こした。久保田や他の友人達のように、話される対象が女の子であれば、こうは感じなかっただろう。北斗は知らない――打ち明けるつもりも無い――が、彼だけが菱井の周囲でただ一人、自分と共通の経験をした人物であった。
「なー、どんな感じだった?」
「どんな、って、菱井お前なぁ」
「いや別に具体的に何したってのはどーでも良くて、単に感想訊きたかっただけ」
北斗は「はぁ?」と首を捻ったのち、その時の事を思い出してか暫し百面相を披露した。そして切れ切れの声で言う。
「なんつうか、その……ヤッてる時は、いっぱいいっぱいだったけど、朝起きた時凄ぇ、幸せだった……かも」
――幸せだった。
北斗のその一言は菱井の胸を、衝いた。
何故なら菱井は、小野寺との情事で幸福感を味わった事など一度も無いのだから。
菱井は自分の思考に愕然とした。このところ、小野寺と逢うとやけにやるせなくなるのは、自分が北斗が感じたのと同じものを求めているからなのだろうか。
「そーか、良かったな」
内心を押し殺して菱井は言った。いまの言葉は間違いなく本心だ。北斗が幸福ならば菱井も嬉しい。だから穏やかな口調と表情になる。
「ん」
北斗は赤い顔で肯き、やっと「帰ろうぜ」と言った。
学校の敷地から出て北斗と並んで下校する際、何となく片手で携帯を弄っていた菱井はいつの間に新着メールが届いている事に気付いた。
高鳴る鼓動を北斗に気付かれぬよう、チェックする。期待通り送信者は小野寺で、だが本文は菱井の予想とは異なっていた。今晩、振替連休を終えてまた遠方へ出張に赴く両親を空港まで送るとの事だった。
「何だ、そーいやそーだった」
忘れちまってるなんてな、と菱井は自嘲気味に呟き、携帯をポケットに押し込んだ。
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