「おーい、可奈、いるか?」
なにお兄ちゃん、と可奈子は訝しげにドアの隙間から顔を覗かせた。
「お前の持ってる本、貸してくんねー?」
「え!?」
「いてーっ!!」
勢いよく開け放たれたドアに鼻をぶつけ、菱井は思わず蹲った。一方で可奈子は異様なまでに目を輝かせている。まだ菱井はどんな本を借りたいか言っていないのに、既に確信している様子だ――尤も、今回ばかりは間違っていないのだが。
「人が居んだから気をつけろよなー……」
「あーごめん。それで、どういう風の吹き回し!?」
「別に深い理由なんてねーけど、何となく」
菱井自身、何故可奈子の蔵書を読んでみたくなったのかはよく解らない。強いて言えば、絵空事でも良いので自分の境遇に近いケースをもっと知りたいと言ったところか。
幸い可奈子は妙に興奮しているためかそれ以上詮索してこなかった。
「お兄ちゃん、どういうのが良い? 甘々でも鬼畜でも何でもあるよ!?」
それは女子中学生としていかがなものか、と菱井は思ったが、とりあえず自分の希望を伝える事にする。
「読んでて痛そーなのとか結末が暗いのは無しな。あと、学校が出てくんのがいーかな」
「わかった、学園ものでハッピーエンドのやつね! ちょっと待ってて、私のお勧めの奴持ってくるから!」
可奈子は一度顔を引っ込め、暫くすると小説の文庫や漫画の単行本を数冊、菱井に手渡した。どれも制服を着た美少年達が表紙を飾っている。タイトルに生徒会という単語が入っているのもあって、菱井は複雑な気分を味わった。
「うー、ねみー……」
教室移動のため理科棟の廊下を歩きながら、菱井は目を擦った。
「なに菱井、今日ずっとそんな調子じゃねぇ?」
「昨日の夜、全然寝てねーんだよ」
菱井は北斗に言い、更に大きな欠伸をした。今日の化学が薬品などを使った実験ではなく、ビデオ教材を見るだけだったのは幸いだった。ただし舟を漕ぎまくっていたので、荻野には目を付けられたかもしれない。
「まさかお前に限って徹夜で勉強っつぅ事は無いよな?」
「当たり前じゃん。漫画読んでた」
――可奈子の薦めるBL小説や漫画は、確かに面白かった。カップルになるのが男どうしなだけであって、恋愛物の少女漫画とさして変わりないのかもしれない。何故か内容は所謂「攻め」が年上かつ生徒会長のものばかりで、一体何の皮肉なんだ、と菱井は思ったのだが。
「それおもしれぇの? 俺にも貸してくんねぇ?」
「い、いやー、どーかな――うわぁ!!??」
階段に差し掛かった際に菱井が下ろした足は段を踏み外し、バランスを崩してあっという間に落ちていく。
「菱井!?」
北斗の声は階上から聞こえた気がするが、目の前に手が差し出されて菱井はそれを掴もうとする。
「大丈夫か?」
え、嘘、と思わず菱井は声を漏らし、手を止めた。
小野寺がそこに立っていた。かけた言葉とは裏腹の、表情の読めない顔。
菱井は意識せず賭けに出る。僅かだけ己の手を小野寺のほうへと突き出す。
次の瞬間、強い力で引き上げられ立たされた。その間繋がれていた手はあっけなく解かれる。
「あっ、有難うございます」
降りてきた北斗が小野寺に礼を言った。だが菱井は呆然と己の掌を見つめるだけだ。
「足元には気をつけろ」
そう言って菱井たちとは逆に階段を上がっていく小野寺の背中に、菱井は視線を向けた。
――もう、自分を誤魔化す事など出来ない。
小野寺に手を握られた瞬間、どうしようもなく胸が震えた。
(俺、あいつを好きになっちまったんだ――……)
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