「菱井、菱井っ!?」
気を喪って倒れた菱井に取り縋り、北斗はその身体を揺すった。
「天宮君!!」
突然背後から大声で呼ばれ、驚いて振り向くとそこには緑川が居た。
「とにかく、菱井君を保健室まで運ぼうじゃないか。キミも手を貸してくれたまえ」
「あ、あぁ、そうだよな――」
気が動転してそんな簡単なことを忘れていた自分を北斗は恥じた。緑川が菱井の右腕を己の肩に掛けると、北斗は反対側から支える。すると意識のないはずの菱井が僅かに顔を歪めた。
菱井の身体は、シャツ越しにも判る程熱を帯びている。
「俺らも手伝うか?」
「いや、二人で十分だよ。橘君、キミ達は五限が始まったら先生に事情を説明しておいてくれたまえ」
「わ、わかった」
橘達が頷いたのを確認すると、緑川は北斗を促して菱井の運送を開始した。
階段などに苦労しつつ、菱井を保健室まで運び込んだ時には既に昼休みは終わりかけていた。
「んだよ、保健室誰もいねぇのかよ」
「養護教諭は研修会のため欠席、とあるね」
その後何事か緑川は呟いたが、北斗の耳には届かなかった。
「とにかく、菱井君をベッドに寝かせよう。そうしたらボクは教室に帰るが、天宮君は彼の目が醒めるまでここに居た方が良いだろう」
緑川の言葉に北斗は力強く、頷く。もとよりそのつもりだ。
二人は菱井を保健室のベッドに上げ、上履きを脱がせた。次に北斗がブレザーを脱がそうとした時、緑川はベッドから退いた。
「天宮君」
「あ? ――っ!?」
緑川は、この一年近く見たことが無い程真剣な表情をしていた。
「キミ達にはどうも誤解されているようだが、ボクは他人の秘密に遭遇する一種の才能を有するだけなのだよ。真に秘めらるべき事柄は決して他言しない。それだけは信用してくれたまえ」
「おま、一体何言って……」
後は頼んだよ天宮君、と言って緑川は保健室から立ち去った。
妙な違和感を抱えたまま、北斗は菱井のブレザーを脱がす作業に戻る。弛んだネクタイも外した方が良いだろう。
「っ!?」
上半分のボタンが留まっていないシャツの、合間から見えたものに北斗は息を、飲んだ。
(すまねぇ菱井)
北斗は奥歯を噛みしめ、菱井の首からネクタイを抜くと残るボタンも全て外し前を開(はだ)けた。
「な、何なんだよこれ――!?」
裸の胸に散らされた、無数の紅い痕。
以前の北斗であれば判らなかっただろうが、今や己が身体で経験済み故に理解できてしまう。
これはどう見ても、情事の痕跡だ。
北斗は震える手で更に菱井のシャツをめくった。左肩の傷跡を上書くかのように刻みつけられているのは陵辱者のものであろう歯形だ。よく見れば鎖骨の辺りなどにも在る。
『真に秘めらるべき事柄は決して他言しない。それだけは信用してくれたまえ』
もしかすると緑川は、教室にて既に菱井の身に起きたと思われる惨事に気付いていたのかもしれない。だからこそ北斗のみに菱井を運ぶのを手伝わせ、今この場に残したのだ。
「誰だ……んな事しやがったのは誰なんだよ!!」
北斗は握りしめた拳でベッドを叩いた。この事態はやはり、最近何処かおかしかった菱井の態度と無関係ではないのだろう。
時折携帯電話の液晶を思い詰めた表情で眺めていた、菱井。
気付いていながら防げなかった自分の無力に北斗はただただ強い憤りを覚える。今すぐにでも犯人を全身全霊を込めて殴りたかった。
そう――「小学ん時のダチ」だ。菱井が会うと言ったその人物が犯人である可能性が最も高い。
北斗が再度拳を強く握りしめた時、目を閉じたままの菱井が、呻いた。
「す、ぐ……はな……せ、すぐる――」
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