次に目覚めたとき、ベッド脇の丸椅子に誰か座っているらしき気配を感じて菱井は顔を横に、向けた。
「おはよう菱井君。気分はどうだい?」
「みどりかわ……」
「キミの事は担任に報告済みだが、保険医が不在でそのまま病院に行ったという設定になっている」
何だそれ、と菱井は呟いたが、彼自身にとって都合の良い話ではあった。寝ている間に母親が迎えに来て、紅い吸い痕や噛み痕を発見されていたらかなり厄介な事になっただろう。恐らくは北斗が配慮してくれたに違いない。
緑川には見られていないだろうかとも思ったが、首元まで掛けられた布団に乱れは無く、菱井は安堵した。
「これから本当に病院に行くも良し、落ち着くまで寝ているも良し。菱井君の好きにしたまえ。キミが持ってきた鞄はここに在る」
「サンキュー……」
ではボクは写真部に出向くよ、と言って緑川は席を立った。
「そうだ菱井君。天宮君だが、清掃当番が終わった途端に物凄い形相で教室を出ていったのだよ」
「え」
緑川はそれ以上を語らず、お大事に、と言い残して保健室から去った。
胸騒ぎがする。北斗には殆どの事情がばれてしまった。だとすると彼が向かった先は生徒会室だ。
菱井は慌てて起き上がりシャツのボタンを首元から下まできちんと留めた。未だ重い身体を何とかベッドから降ろす。
北斗が小野寺に何かする気なら止めなければならない。北斗が問題を起こす事は避けたいが、それ以上に傷つけられた小野寺を見たくなかった。
(自分はボロボロにされたのになー……)
鞄を掴んで菱井は自嘲めいた笑みを口の端に乗せた。小野寺に惨い目に遭わされたのに、胸が詰まるほど彼が愛しかった。
菱井が何とか生徒会室の前に辿り着いた時、中から誰かが怒鳴る声が聞こえてきた。北斗だと確信し、急いで生徒会室に入る。
「北斗、よせ――」
「菱井!?」
「良介」
部屋の奥で北斗と小野寺が対峙している。小野寺に怪我をした様子が無いのを見て菱井は安堵した。
「お前もう大丈夫なのか!?」
「いちおーここまで一人で来れたから平気じゃねーの?」
菱井は北斗を安心させようと再び笑顔を造った。
「けど……!」
「北斗、俺の為に優に怒鳴り込みに行ってくれたんだな」
「ったりめぇだろ!? 俺は菱井の親友なんだぜ? 俺だってお前の為なら何だってしてやるよ」
「ははっ、天宮南斗が聞いたら俺、ぶっ殺されそー」
北斗の想いが嬉しかった。初めて会った日に彼に対して菱井が抱いた切実な願いがこの上もない形で結実した瞬間だった。
だからこそ――小野寺との決着は菱井自身が為さねばならなかった。
「もーいいよ、北斗。後は俺が自分で言う。なー、優?」
沈黙を保っていた小野寺が立ち上がる。その、双眸を菱井は真っ直ぐに、見つめた。正真正銘、最後の勝負が始まるのだ。目を逸らすわけにはいかなかった。
「ごめんな、俺、昨日本当の理由言ってなかったよな。北斗と天宮南斗が上手くいったから契約完了、っつーのは建前だよ。優はもっと俺を利用するつもりだったんだろーけど」
「良介、それは」
「俺、いつの間にかマジになっちまったみたいでさ。自分に言い訳しながらずるずる続けて、お前からの連絡毎日期待して……契約で割り切った関係なのに、俺の方がそうなっちまったら優、重いだろ?」
菱井は、話の内容が少しでも軽く小野寺に伝わるよう、おどけた口調で言った。
「お前の事好きだって自覚して、だったら告白して玉砕するつもりだったんだよ。結局タイミング喪っちまったし、お前まだ俺とヤる気満々だし――けど、こ、これ以上ヤッたら、身代わりでも良いって思っちまったら」
ああ駄目だと菱井は、思った。目頭が熱い。喉が震える。
「俺、負ける。優が良いって言った俺じゃなくなる。負けたくねー、俺、負けたくねーよぉ……!」
菱井、と北斗が掠れた声で言う。
それは何があっても決して泣くことの無かった菱井が見せた、初めての涙だった。
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